7ちゃんねるーふみねぇ支店

アラサーニートのよしなしごと

呟き166:そういえばお菓子も作れるかもしれない

 

パン作りが趣味です、と言うと、大抵キラキラした眼差しで

「お菓子も作れるの?」

と訊かれる。

その度に「お菓子はあまり......」

と答えることが多かった。

 

実際、私はそこまでお菓子を作らない。

理由は使う砂糖の量の多さと、保存性の悪さだ。

 

別に健康を意識している訳ではないのだが、お菓子作りは本当に砂糖を多く使う。パン作りなら20gくらいでも結構甘いパンができるのに対し、お菓子作りだとこの2,3倍でもまだ足りないほどだ。

お菓子でもパンでも、作るとなるとそれなりの量ができる。

家族や半同棲の恋人でもいればいいのだが、残念ながらそんな人もいないので、基本は1人で消費する前提になる。保存性の効かないお菓子をそんなに1人で食べきれない。

職場なり友達なりに配るにしても、ラッピングなり保存性(冷蔵保存のお菓子はまず人にあげられない)を考えると、どうもパンの方に軍配が上がる。

 

そんなこんなで「お菓子は作れない」と自認していたのだが、よく考えたらお菓子作り用にホットケーキミックスを常備してるし、なんだかんだでちょくちょく作っているので、一度整理しようと思ったのがスレタイ

 

1,クッキー

多分一番頻繁に作るお菓子。ホットケーキミックスとバターを常備しているので、「家にお菓子がないけど甘味が食べたい」ときによく作る。

基本的にズボラなアイスボックスクッキーで、材料を袋に入れて揉みしだき、ドレッジ(又はパン作り用スケッパー)で適当に切って焼く。焼く前の形状はさながら沢庵のようである。

卵を入れると美味しいが、家にあるもので作ることを基本にしているので、無しで作ることもある。基本的に「甘いもの食べたい」という欲求を満たすために作るものの位置付けなので、人に振る舞うものでないと考えている。一応まともな市松模様や渦巻き模様のアイスボックスクッキーも作れます。その時はボウルに材料入れて、真っ当な作り方で作ります。型抜きは普通にめんどいのでやりません。持ってないし。

ちなみに自転車で1分の距離に24時間営業のコンビニがあります。

それでも私は外に出たくないのです。

 

2,スコーン

クッキーの派生。クッキーと材料や作り方はほとんど同じなのに、なぜか見た目もよく、普通に美味しい。味はなんだかんだでチョコレートとくるみ一択。レーズンは何度かやったが微妙においしくない。ダースを丸ごと入れて袋の中でちまちま半分に砕く。円形にした厚めの生地を、ドレッジで8等分にするときがちょっと楽しい。

 

3,プリン

卵、牛乳、砂糖があれば作れる実は簡単なお菓子。卵はきちんと濾さないとダマになっておいしくない。簡単ではあるが、作っても言うほど美味しく作れないので、「買った方がコスパがいい」と思っているお菓子No. 1。

 

3,パウンドケーキ

混ぜて焼くだけなのに美味しく作れる。バナナやドライフルーツを入れることが多い。ちなみにレーズンやドライフルーツは常備しているブランデーで漬けてます。

パウンド型を持っていないので、食パン型にオーブンシートを敷いて代用している。パン作りに比べるとすぐにできるのでいつも拍子抜けしてしまう。オーブンから出したときに上に独特の裂け目ができているととても嬉しい。

 

4,アップルパイ

クロワッサンが作れるから生地から作れるはずなのだが、実はそこからはまだやったことがない。ただ、冷凍パイシートを買って作ったことは何度かある。アップルパイのりんごは紅玉一択。酸っぱいりんごをシンプルに砂糖だけで煮詰めると美味しいんですこれが。個人的にバターで炒めるのは蛇足だと思っている。あと、りんごのコンポートはヨーグルトにかけて食べるのが好きです。

 

5,スイートポテト

これもなんちゃってレシピ巷にいっぱいあるよね。アイスクリームと混ぜる奴とか。

作れるんだけど、最近焼き芋の方が好きであまり作らないかも。紅はるか最高!

 

6,ブラウニー

実はブラウニー型も持ってます。ただ、そんなにちょくちょくは作らないかな。ココアパウダーはちゃんとピュアココアを使わないと意外とココア感が出ません。飲む用のミルクココアではダメなのだ。

 

7,レアチーズケーキ

生物は人にあげにくいのでほとんど作らなかったりする。クリームチーズも安くないし。でも美味しいよね。個人的にビスケットの台を作るところが一番難しいと思ってる。なかなか均一に作れない......。

 

8,アイスクリーム

アイスクリームを作るには生クリームがいるのであんまり作ろうと思って作ったことないかも。名古屋のワインバーでバイトしてたとき、デセールで「マスカルポーネのアイスクリーム」を出しており、そのレシピを教えてもらって作ったくらいかな。「絹漉し豆腐にココアパウダー入れて凍らせるとダイエットアイス」というレシピを見て作ったことがあるが、あれ案外美味しくないよ。

 

9,ゼリー

ゼラチン派です。原理的にはジュースを温めてゼラチン溶かせば作れるのだけど、そもそもジュースを飲まないのであまり作らないかも。

会社員だった頃、休日に突然「みんなでとある先輩の家にいるから遊びにおいでよ!」と呼び出され、手土産代をケチって家にあった自家製梅酒でゼリーを作ったのだが、急拵えのためろくにアルコールを飛ばさないで作り、アルコールがギャンギャン過ぎて誰も食べられなかったという苦い思い出がある。その後もしばらくネタにされた。ゼリーは責任を持って持ち帰り、炭酸をかけて食べました。

 

10,デコレーションケーキ

スポンジからは作ったことがないけれど、半分に切ってクリームを塗ってフルーツ挟んで、という感じで一応何度か作ったことがある。あれ、回転台とスパチュラないと綺麗にクリーム塗るの難しいと思うんですよね。

 

11,マカロン

作れるんです、実は。一時期ちょくちょく作ってました。同じサイズのマカロン作るのなかなか難しいのと、中に挟むガナッシュを作るのがなかなか面倒だったりします。(というかネタが思いつかない)。

カロンは必須の材料や道具が多い割に、私的にその汎用性が低いんですね。アーモンドプードルとか、食紅とか、絞り袋とか。そして失敗率高いので自分でマカロンラスクとして食べるのですが、そもそもマカロンって一度にいくつも食べるようなものじゃないんですよ......。でもそのうちまた作ろうかな......。

 

12,蒸しパン

最近簡易蒸し器(フライパンで蒸し物作れるやつ)を買ったので作れるようになりました。これまた会社員時代、展示会のときにありあわせのドライフルーツをその辺にあったブランデー(テストキッチンにあったもの。怒られはしなかったけど多分あんまりよろしくない)に一晩漬け込み、恐らく別用途で買ってあったホットケーキミックスで蒸しパンを作ったところ、中々好評だった。

 

13,ドーナツ

「ドーナツを作りたい!」と何度か挑戦しているのだが、なぜか「これだ!」という出来のものを作れたことがない。ドーナツにはイーストで膨らませるイーストドーナツ(ミスドでいうところのチョコリング)と、ベーキングパウダーで膨らませるケーキドーナツ(ミスドで言うところのオールドファッション)の2種類があるのだが、個人的にはケーキドーナツが好きです。いつかヤングドーナツの大きいのを作りたい。なんでどこにも売ってないんだろうね。

そういえば、仙台にいた頃バイトしてたパン屋ではよくオールドファッションみたいなケーキドーナツにチョコを漬ける仕事をしてたな。

 

14,トリュフチョコレート

高2のバレンタイン、百均でレシピ本を立ち読みして得た知識で作った。テスト前、夜中ということもあり、母親がずっと迷惑そうにしてたことだけ覚えている。ちなみに友チョコ。本命チョコを誰かにあげたことが人生で一度もない。

 

15,ホットケーキ

ホットケーキのおいしさが、子供の頃からいまいち理解できない。「手抜き飯」のイメージが強い。生クリームを乗せて飾っても、メレンゲでふわふわにしても、何となくしっくりこない。

ちなみに、ホットケーキミックスには砂糖が入っているので、水を入れるだけで一応「ホットケーキ」は作れる、ということは恐らく貧乏学生しか知らない裏技だろう。ただ、きちんと卵と牛乳を入れて作った方が美味しい。

その手軽さから小学生でも作れる料理の一端に数えられることが多い料理だが、舐めてかかると案外失敗しやすいのもまた、ホットケーキの特徴だろう。いわゆる「濡れ布巾」とか「弱火」という

概念をホットケーキの失敗から学んだ人も案外多いのではないだろうか。簡単そうに見えて案外奥深い、それがホットケーキという料理の妙なのかもしれない。

 

16,カステラ

カステラは16世紀にポルトガルから伝来した所謂「南蛮菓子」だが、一応「和菓子」という扱いらしい。これも何度か作ったことがある。ただ、レシピの問題なのか、腕がなかったからなのか、北海道銘菓の「かすていら」みたいなちょっと素朴な味になり、コスパが良くないと感じたので、今後気が向かないと作らないだろう。

 

17,キャラメリゼ

くるみやレーズン、バターを常備しているので、甘味が欲しくなったときにささっと作る。作り方としてはくるみやレーズンを気持ローストし、バターをたっぷり入れて溶かし、そこに適当に砂糖をかけるだけ。ハイカロリーの権化みたいな食べ物だが、なかなかに美味しい。

要するにバターに砂糖を溶かせばキャラメル風味のソースができるので、一度ポップコーンを作ったときにかけてみたらちゃんとキャラメルポップコーンができた。今度パーティーを開くときにまた作ってみようかと思っている。

 

18,水羊羹

これまた前の会社の展示会で、鯛焼きを作るためにアホみたいな量のあんこを買ってきた営業所があった。大量のあんこを消費するには水羊羹しかないと思い、レシピを調べると意外と材料がシンプル(寒天、砂糖、塩)だったので、大鍋いっぱいにたっぷり作って出した。展示会が6月だったこともあり、中々好評だった。

 

19,フィナンシェ

これを入れるのはちとずるいかもしれない。小学校の総合の時間、各自好きな国を選んで調べるという課題があった。その一環で、その国の料理を作ってみる、というのがあり、フランスを選択していた私たちはフィナンシェを作った。アーモンドプードルというものの存在はこのとき初めて知った。要は焼き菓子なので、作ろうと思えばいくらでも作れるだろうな、と思いながらフィナンシェ型を持っていないのでそれ以来作ったことはない。

 

パッと思いついたのをつらつらあげてみた。恐らく忘れているけれど作ったものもいくつかあるだろう。

以下、思い当たりはするけど何気に未挑戦シリーズ

 

①シュークリーム

難しいお菓子の代名詞ですね。卵も牛乳も高くなった今、よっぽどのことがないと挑戦しないような気がする

 

②マドレーヌ

焼き菓子は型さえ買えば作れるんだろうな、と思いつつ、あのシェル型を持っていないので未だに作ったことがない。富澤商店でミックス粉が半額になっていたので、挑戦しようか迷ったものの、えげつない量のバターを使うのに怖気付き、挑戦は未定

 

③シフォンケーキ

シフォン型買わないとね、という感じ。そして1人で消費できる自信がない

 

カヌレ

カロリー高そう。あと型買わないといけないし......。

 

⑤おはぎ

おはぎというか、あんこを炊くところからやるか、みたいな感じです。時間かかりそう。あとあんこはこし餡派なので、作るの大変そう。あんこはスーパーで100円くらいで作るのに必要な分は事足りるからなあ......。

 

以上です。

いや、よく考えたら普通にお菓子作れると言ってもいいのでは?

まあ、レシピ通りに作ればまあそこそこのものは誰でも作れるよね、正直。

呟き165:さようならを告げよう。

 

失恋をした。

何度も恋をしたけれど、はっきり「失恋した」と認識しているのは人生で二度目だ。

 

本当は未来がないことなんて、ずっと前から知っていた。そもそも、私の恋は割と序盤に砕けることが多いので、まっすぐに恋を育てられないまま、しばらく歪な形に歪んだまま育ってしまう。

 

叶わないことは知っていた。

けれど、それを自分の中で摘むことはできなくて、相手が振り向いてくれるまで健気に振る舞うこともできなくて、ただあなたを好きな人がいるということを知って欲しくて、初めてはっきりと「好きだ」と伝えてしまった。

 

伝えて初めて、本当に自分が付け入る隙なんて初めから無かったことを知った。

自分の感情で相手の感情がこれっぽっちも動かないことを思い知らされてしまった。

恋心は粉々に砕けて、かけらも残らない程に吹き飛ばされてしまった。

四六時中考えていた感情が、急にぽっかりと穴が空いたように消えてしまった。

伝えたかったことも、話したかったことも、相手が好きなものも、相手の好きだったところも、今は何もかも遠いところにある気がした。

 

こんな感情があることを、知らなかった。

 

相手の心の中に入れないことが悲しくて、何度1人で涙を流したかわからない。

でも今となっては、そんな感情さえ遠いところにある気がした。

 

5年前、初めて「失恋」をしたときは、相手の心の中に居られなくても、側にいたいと思った。「友達でいい」と強がりながら、恋が消えなかった。結局、叶わない感情は歪な形のまま爆発して、自分でもわからないまま、いつしか自然と消えてしまった。

それが嫌だったから、今度は茶化さないで、普通に伝えた。

 

あんなに欲しいと思っていた相手の感情も、今はもう欲しくない。どうでもいいとさえ、思える。

 

きっと、ずっとはっきりした答えが欲しかったのだ。箱の中の猫は死んでいると、その糸の先は繋がっていないのだと、はっきり言って欲しかったのだ。わかってはいたけれど、想像だってしていたけれど、結局想像の域を出ない分、甘い未来だって想像してしまったから。

 

きっと、これから別の道を歩んでいく。

もう交わることもないかもしれない。

でも、もうその目に自分がいないことがはっきりわかったから、もう求めない。もう、いらない。

 

きっと最後の日には、笑って別れの言葉を告げられるはずだ。

縁を切るのは流儀ではないし、なあなあにしておけばまた巡り会うことがあるかもしれない。告げたところで二度と会わないと決まるわけではないと思う。

 

けれど、最後の日には、笑って「さようなら」と言って別れたい。

 

それが、愛する場所に行く最後の日でもあるから。

呟き164:プレゼント•フォー•ユー

 

28年生きてきて、異性からプレゼントを貰ったことがほとんどない。

交際「人数」だけで言えば年並みの人数と付き合っているはずなのに、その期間を「通算」して1年にも満たないくらいしか付き合っていないので、貰う機会がないのだ。悲しいことに、誕生日に彼氏がいたことが今まで2回しかない。

 

私の誕生日は11月4日だ。前日が文化の日なので、誕生日前後は休日になることが比較的多い。

20歳の誕生日、その2週間くらい前に「付き合おうか」という話になった彼氏は、その連休でわざわざ札幌からやってきて仙台駅で落ち合った開口一番に「いい話じゃないのわかっているよね」と別れ話をされた。もちろんプレゼントなどない。

 

21歳の誕生日には彼氏がいた。実質初めての交際は彼なのだが、私の誕生日の時期は既にぎこちない空気が流れていた。別れ際にリボンのかわいいネックレスをプレゼントされたけれど、その3日後に別れを切り出された。「最後に一度会いたい」と公園に呼び出したのだが、3時間くらい待たされたのに腹が立ち、ネックレスは突き返した。

 

その次に付き合った彼氏は、ちょっとしたモノをよくくれる人だった。お菓子とか、ちょっとここには書けないようなものとか。この人に関しては、フランス語を教えるためにかなりあれこれやってくれたことのほうが大きい。そして唯一「よくある普通の恋人」みたいに頻繁に会うことができた人だった。ほんの一瞬だったけれど。

 

次に誕生日に彼氏がいたのは25歳の誕生日を迎えるときだった。20歳のときにわざわざ仙台まで振りにきた男ともう一度付き合うことになったのだが、付き合いはじめてから日が浅かったせいなのか、浅草でうなぎだかどじょう鍋を奢ってくれたきりで、プレゼントはなかった。食事がプレゼント、ということだったのだろうか。

 

交際期間が短いので、何をあげたらいいのか困る、というのはあっただろう。けれど、自分の誕生日よりも彼氏の誕生日の方が先に来ることが多いので、こちらが先に祝っていることが多いのだ。毎回手探りなので、喜ばせられたかどうかはよくわからないけれど。

 

彼氏は長いことご無沙汰だが、男友達は常に何人かいる。異性の友達にプレゼントを贈るのは少々重いので滅多に贈らないし、贈られることもない。

時々、話の流れで「〇〇をあげようと思って」みたいなことを言われることがあるのだが、考えてみるとそれが本当に贈られたことは一度もない。

本、Diorのリップ、(自主規制)、小説の感想。

 

本は特に、実際に誰かから贈られてみたいのだが、残念ながら口約束のままだ。毎回すごく喜んでみても、結構ぬか喜びで終わってしまう。

 

ああそうだ、フランスに留学したとき、語学学校で少し仲良くなったアルゼンチン人の男性から「異邦人」のペーパーバックをもらったことがある。それくらいだ。扉にペンで謎の記号が書いてあるのだが、それがどういう意味なのか、未だによくわからずにいる。

 

そんなにプレゼントがされたら嬉しいのかというと、決してそういうわけでもない。

会うたびにプレゼントをくれる人がいたのだが、それには少し辟易した。

貰う謂れがないプレゼントは、例え何かそれらしい理由をつけられても重いのだ。

会って2回目で「退職おめでとう」とちょっとしたオシャレなお菓子をもらったのだが、正直理解が追いつかず戸惑ったのを覚えている。

 

そうそう、このブログをやるきっかけになったなかはらは、ここ数年毎年律儀に誕生日プレゼントをくれる。そのくらいかもしれない。

 

友達から心尽くしの誕生日プレゼントを貰った経験は何度かある。

20歳の誕生日にF研の部室で先輩に誕生日の歌を歌ってもらったこと、22歳と23歳の誕生日に友達の家でケーキで祝ってもらったこと、28歳の誕生日をハワイで迎えた日のこと。それはとても嬉しい思い出として、心に残っている。

 

ただ、いつか、好きな人に心から誕生日を祝ってもらいたい。それが今の小さな夢だ。

 

呟き163:「うちの子の名前は何にする?」

 

同僚と取り留めのない話をしているうちに

「将来子供ができたら、どんな名前をつけたいか」

という話になった。

 

「付けるなら、中性的な名前がいい」

と、同僚が言った。

「将来その子の性自認が、どちらになってもいいように」

 

はい。

最近、よーーーーーーーーーく聞きますよね。

ジェンダー的先入観をもって教育しない方がいい」みたいな。それが最近の主流だと思います。いやらしい言い方すれば「とても耳障りがいい」

 

確かに、中性的な名前はかっこいいと思います。女の子の「あきら」とか「まこと」って、そんなに珍しくないし。

でも考えてみてください。

「本当の意味で中性的な名前って果たしていくつある?」

正直、パッと思いつくの「かおる」「ひかる」「ひなた」くらいしかない。

日本人の名前には、どの名前にも男性性と女性性の濃淡があるように思う。それがフィフティーフィフティーなのはほぼないといっても良い。

多いのは、「異性の名前としてもいないわけじゃない」というパターン

例えば、「はるき」という名前を見て、我々は恐らく男だと思うし、「なつき」という名前を見て、ふんわりと女を連想するのではないだろうか。「はるきちゃん」や「なつきくん」は存在するとしても、圧倒的に「はるきくん」と「なつきちゃん」のほうが数は多いと思われる。

さっき上げた「あきら」とか「まこと」はそもそも男の名前としてメジャーなものだし、「ひろみ」「ますみ」など逆も然りだ。

 

私は思ってしまう。

「初見で名前を見られるたびに、相手に異性に迷われるような名前って普通に不便なのでは」

そもそも、生まれてきた性別と、性自認が異なるパターンというのは、恐らく我々が思うほど多くないと思われる。これは冷静な確率論としてだ。それよりも、長い人生において、「この人性別どっちなんだろう」と迷われて、自己紹介のたびに「あ、女/男なのか」と思われる名前の方が、本人にとって不便なのではないだろうか。

 

名は体を現す、という。

だから私は、名前に最低限「性別」を判断できる要素くらいあって欲しいと思うのだ。

 

そしてこれは個人のスタンスだが、仮に自分の名前が気に入らないとか、性自認が違うとか、そういうことがあれば、ペンネームとか芸名とか、そういう形でいくらでも好きな名前を標榜して生きていけばいいと思う。別に戸籍の名前から変えたいなら、子供の好きにすればいいと思うけれど、そういうのでもよくないですか?というのが私のスタンスだ。

 

時代に逆行しているような気もするが、こういう考えがあってもいいのではないかと思うのだが、如何でしょうか。

呟き162:【ネタバレあり】例の宮崎映画の感想だよ

 

開始早々、警報のサイレンが鳴る描写を見て

「やったな!」

と思った。

君たちはどう生きるか」(以下、単に「原作」とする。原作と言っていいのかわからないけど、取り敢えず題名長いから)は1937年が初出なので、戦争は関係ない。一応世間的には日中戦争の時期ではあるけれど、我々がイメージするところの「男が国民服、女がもんぺで空襲が日常」みたいな「国民の生活が脅かされる」感じの戦争は太平洋戦争時期の話なので、正直「戦争要素が全面的に出てくるようなら最早原作要素は諦めよう」と思っていた。

 

それが、初っ端からこれである。

空襲の描写かと思ったのだが、作中では「火事」と言っている。登場人物の服装が軒並み国民服ともんぺなので、戦争時代らしいことは確かだ。

「お母さんの家の方が燃えている!」

と大人たちが駆け出していく中、眠っていた主人公(小学生くらい)も寝巻きの浴衣のまま駆け出すが、子供は行かなくていい、止められる。お母さんが自宅にいない理由について、詳しい説明はなし。

主人公は寝間に戻り、急いで服を着替えて1人家を飛び出す。人混みを掻き分け、炎の中を「お母さん!」と呼びながら、走る。

この炎の描写がCGでやけにぬるぬるしているので、「ジブリってCG使うっけ」と妙な気持になる。恐らく最近のジブリ映画を見るたびにCGであれ? と思っている気がするので多分初CGはないに違いないのに、いつも違和感を抱く。

 

結局、お母さんは火事で死んでしまった。

 

2年後、お父さんが再婚し、主人公たちは東京を離れることになる。「戦争が始まって2年後」という台詞から、どうやら時代設定は1943年らしい。

 

父子が駅に着くと、人力の三輪自転車に乗って和装美人の再婚相手が登場する。主人公を見たお母さん

「こんにちは、眞一(まいち)さん」

 

主人公の名前がせめて「潤一」であってくれ、という希望も儚く砕けた。ちなみに潤一はコペルくんの本名である。時代設定的や主人公の年齢的に「原作の数年後の話」というわけではないということはわかっていたけれど、せめて少しは踏襲して欲しい感はあった。

 

お父さんは新しく何かしらの工場(この時点で説明なし)の工場長となるらしく、先に乗合バスで行ってしまう。

残された眞一はお母さんと共に三輪自転車で自宅へ向かう。

母「私が新しいお母さんよ、知ってる?」

眞一は頷く。この主人公、結構無口であまり喋らない。

お母さんは眞一の手を取ってお腹に当たる。

母「わかる? 赤ちゃんがいるの」

 

いや怖い怖い怖い!!!!

これまでの描写ではっきりと眞一の年齢はわからないのだが、恐らく10代前半くらいには見える。そんな男の子の手を取って、自分のお腹に当てるのも結構キツイし、初対面にも関わらず「お父さんとの赤ちゃんがいる」と言われても情報量が多過ぎて困ってしまうだろう。

 

三輪自転車はやがて大きなお屋敷に着いた。ジブリにありがちな、自然あふれる人里離れたところにぽつんと立っている大きな建物だ。一言で言えば、マーニーの洋館みたいな感じ。恐らく何かしらのモデルがありそうな予感がする。

お母さんは勝手知った様子で豪邸を歩き回るのだが、「なぜお母さんが豪邸に先に住んでいるのか」「お母さんが何者で、その家が地域でどういう立ち位置にあるのか」ということについて説明は特にない。登場人物の会話からもはっきりしたことはわからないのだ。

そう、この映画、設定ありきのものに違いないのに、あまりにも説明がないのである。

 

なんかもうキリないから、あらすじを事細かに追うのやめた。

 

主人公もあまり喋らない。モノローグもほぼない。「お父さんが叔母(母親の妹)と再婚して、縁もゆかりもないところに引っ越してくる羽目になった、おまけに母親はすでに妊娠している」

「田舎の小学校の生活には馴染めないし、学校に行きたくない。大怪我すれば学校に行かなくて済むかな」とか多少想像できるけれど、如何せん主人公が黙りこくっているし、引きの画面にBGMのみで行動だけ淡々と描写したりするので、そもそもあまり心理描写に介入する気がないとも言える。

登場人物の状況や立ち位置について説明が碌に無いまま進み、登場人物たちも説明口調で話したりはしないので、作中彼らが「共通認識」としているものは話題に上らない。

一応、設定がしっかり練られている証拠に、作中にポツポツと出てくる要素をつなぐとある程度状況を理解することはできる。「ああ、このお母さん(継母)は眞一の実母の妹で、その家はお金なり地位のある家なんだな」という事情などだ。そこに破綻はないので、破茶滅茶な筋に振り回されるということはない。

けれど、映像だけでは説明しきれていない部分も多いので、想像で補完しながら鑑賞するにも限界がある。

普通ならば原作の情報があれば理解の手助けになるはずなのだが、そもそもこの作品は原作が原作として機能していないので、参照する情報が何もないのだ。

 

背景に関する説明がないのと、心理描写が薄い(少なくとも事前情報なしに一度見たくらいでは全て理解することが不可能なレベル)ので、いまいち登場人物に感情移入できない。

継母に対する蟠りと、田舎の小学校に馴染めない行き場のなさから、自傷(かなり痛そうでちょっとギョッとした)して、「学校に行けない理由」を作って大手を振って休もうとしたんだろうな、というのはわかる。けれど、継母を探す冒険をしながら「生き物を捌いたり」「生き物が死ぬのを見たり」「誰かに助けられながら困難な状況を打開する経験を通して自立と助け合いの大事さを学んだり」といった「おあつらえ向きの舞台装置」をいくつも並べられているにもかかわらず、なぜか「それを通して主人公が成長する」という展開がしっくり来ないのだ。

例えばなしをしよう。

あなたは学芸会の劇で「シンデレラ」を上演することになりました。シンデレラは舞踏会に行くにあたって、仙女からカボチャやネズミ、トカゲを要求されます。それがないとストーリーが進みません。かぼちゃはいざ知らず、本物のネズミやトカゲを用意するのは至難の業でしょう。そこで「ストーリー」を進めるために、ハリボテとしてネズミやトカゲの人形を用意しました。

まるで、そんな感じ。

主人公が成長する「エピソード」は用意しました、でもその実としてはハリボテで、確かに意向としては汲めるけれど、何も響かない。

 

君たちはどう生きるか」は死んだお母さんが眞一に残した本の一つらしい。扉にメッセージが書き付けてあるのだが、後からよくよく考えたら、不治の病に伏せていたわけでもあるまいし、そんなことをするだろうか。

頭の傷でとこに伏せていた眞一は「君たちはどう生きるか」を涙を流しながら読む。

けれど、あの本を読んで、果たして眞一は何を感じたのだろうか。「友情の大切さ」? 本当に? その本で得たメッセージが彼を成長させた、というメタファーが後半で展開されるファンタジー世界における描写なら、ちょっと浅はかな気がする。

要するに、エピソードを通してなぜ主人公の心境が変化したのか、成長できたのか、という点がすんなりと頭に入ってこなかった。

 

主人公だけではない。継母も正直何を考えているのかよくわからない。なぜ姉の旦那と結婚したのか、どういう感情で姉の旦那と結婚したのか(少なくともラブラブそうではある)、義理の息子になった甥と仲良くしたそうにしているが、腹の底で何を考えているのか、いまいちよくわからないし、その心境の機微もいまいち見てとれない。読解力の不足だと言われたらそれまでな気もするけれど(私はそもそも読解力があまり高い方ではない)、それが読み取れないのを「情緒のない奴だ」と鼻で笑われたら、ちょっと憤慨したくなるような情報量の薄さだとは思う。

 

腕時計をスクリーンの光で照らして見ては、「あと何分でこの話を展開させるつもりだろう」ということばかり気になった。

 

映画が終わって、この作品が「君たちはどう生きるか」という題名がつけられたことの意味についてぼんやり考えていた。

 

あの内容における「君『たち』」とは一体誰なのか。そもそも、原作において作者が問いかける「君たちはどう生きるか」という問いと、この映画が問いかけるそれが全く同じものであるとは到底思えない。

 

映画が公開されて数日経ち、ポツポツと感想がネット上に流れ出したのを見て、驚いたことがある。

それは誰もが映画に物語としての整合性を求めていないということだ。

確かに、往年のジブリファンが見て何かを感じるような「取っ掛かり」はかなりあったように思う。ぬいぐるみになりそうなキャラクターとか、食事の描写とか、同世代の女の子との冒険とか、要するにこの作品を「ジブリ」として並べたときにこの作品を標榜する事物の多さに、なんとなく商業的な匂いというか、鑑賞者に対する「媚び」みたいなものが見え隠れしているようで、思わず顔を背けたくなった。

うん、なんだろう。

「あわよくばインスタとか何かしらのSNSでバズって欲しい、新顔もよろしく!」

みたいな?

 

好きな人の好きという感情は否定しない。

けれど、個人としての意見を言えば、物語の作り手として少し傲慢さを感じた。

 

 

呟き161:【鑑賞前編】封切り初日に「君たちはどう生きるか」を見に行った話

 

遡ること数ヶ月前

確か某面接試験の直前、私はなぜか吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を十数年ぶりに手に取った。

この小説との出会いは小学生のころだ。公文の教材で読んで好きになり、原作も買ってもらい、何度も読んだ。

この小説は1937年に日本小国民文庫のために書き下ろされた小説で、よく読めば確かに「戦前の学生もの」なのだが、そういった小説にありがちな「古さからくるとっつきにくさ」はほとんどない。コペルくん(主人公)やその友達はただのいい子ちゃんでもなく、かと言って過度に戯画化されているわけでもなく、等身大の中学生だ。

 

「時代のリアル」を描写しようとし過ぎて、ほんの数年で時代遅れになっている小説はたくさんあるけれど、人間の「本質」を描いた小説はどれほど時代を超えても色褪せない。「君たちはどう生きるか」はまさしくそういう小説だった。

 

そんな理屈を捏ね出すよりもずっとから、この小説は自分を魅了していたのだから、名作にはやはり力がある。

 

ただ、読み返して気づいたことがある。それは「コペルくんの生活が現代人とあまり変わらない」ということだ。

コペルくんのお父さんは亡くなっており、お母さんと2人で暮らしているのだが、それでも何不自由なく中学に通っているので、当時としては比較的裕福な方だろう。

「女中がいる」とか「ラジオの野球中継ごっこ」とか「友達の身内が軍人」とか多少時代や世相独特の描写はあるけれど、メインエピソードで「世相」を極端に意識するような場面はあまりない。実家が豆腐屋の友達のエピソードでさえ、そこだけ抜粋したら「70年代くらいの話」で通るようなレベルだ。

だから、戦前の話だとわかったときは少し驚いたものだ。それくらい身近な話として捉えていたし、そう思えてしまうくらいコペルくんたちの姿は普遍的な中学生の姿なのだと思う。

 

この小説のキーパーソンに「おじさん」の存在がある。コペルくんの母方の叔父にあたる人なのだが、歳が離れていて、「法学士」、つまり20代前半くらいだ。

若い。びっくりした。こんなに若かったのか。そして「学士」か。当時の大学進学率からすると、超絶エリートに違いはないのだが、「学士」か。

 

小学生の頃は、小難しい「おじさんのノート」は飛ばしていたので、この機会にちゃんと読んでみた。

いや、「学士」でこんな自分の分野外のことも含めてこんなにわかりやすく説明できるものなのですかね!?例え東大出の法学士でも、現代の22歳前後の人間が、中学生相手にこんな手紙を書けるほど深い教養って持てるものなのだろうか、と考え込んでしまった。

 

で、そんなことも忘れかけていた昨日

Twitterが何やら騒がしい。

どうやら、ずっと音沙汰なかった宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」が明日から公開らしい。

 

正直、あまり興味がなかった。

「事前情報がない」という情報さえ、言われてみて初めて「そういえば確かに全然宣伝がないな」と思ったくらいだ。

映画が嫌いというわけでもないし、ジブリが嫌いというわけでもない。

君たちはどう生きるか」が原作に則った話では無さそうだ、という情報だけ薄っすら流れてきて、「ああ」と少し苦い気持になった。

 

10年前、「風立ちぬ」が放映されたとき、堀辰雄の「風立ちぬ」を読んでから映画を見に行った。個人的には「予習」のつもりだった。

世間では「ネタバレ」は忌避されることが多いけれど、私はむしろネタバレ、というか事前にあらすじやレビューを調べてから映画を見ることが多い。

というのも、ストーリーラインを把握しておいた方が映像としてみたときに話が理解しやすいし、伏線にも気づきやすくなるからだ。

 

が、「風立ちぬ」に関して、「予習」は全く意味をなさなかった。

始まってすぐ、私は心の中で叫んでいた。

「いや菜穂子って誰やねん!!!!」

小説「風立ちぬ」のエッセンスは、せいぜい冒頭の場面と、ヒロインが肺を病んでサナトリウムに行くという設定くらいだろうか。

風立ちぬ」はとても美しい小説だ。

穏やかで静かだけれど、強く、どこまでも優しい愛の描写は胸打たれるものがあって、電子辞書(青空文庫で読んだため)を前に涙が止まらなかった。

 

確かに、映画「風立ちぬ」を「作品」として見ると、とてもいい話だったと思う。が、あれだけネームバリューのある小説の題名をそのまま使っておいて、全く違う話を作ってしまうのはどうなんだろう、というしこりは残った。

 

確かに題名「自体」に著作権は無い。

けれど、ジブリや新開誠映画(「時をかける少女」とか、「君の名は。」も過去に有名だった作品と同名)のような、「世間の印象を塗り替える力がある作品を生み出す」立場の作り手が、過去のネームバリューのある作品名をそのまま使って、全く違うストーリーを描くのはどうなんだろう、という疑問は常々あった。

これらの作品は、名前を拝借した作品のオマージュの域を超え、下手すればエッセンス程度にしか元作品の要素を残していない。拝借した元作品を「原作」と言っていいのか怪しいレベルでさえある。

「ストーリーラインの根底に、元作品の要素が必要なんだ」と例え作者が言い張ったとしても、正直屁理屈だよなと思ってしまう。

世にも有名な映画「マイ•フェア•レディ」もナボコフの「ピグマリオン」という小説の翻案だけれど、決して「ピグマリオン」を題名が標榜しているわけでは無い。

全く別の作品を作っておいて、どうして題名も新しくしないのか、というのがずっと疑問である。

 

それから、10年

「で、またそのパターンなんでしょう!?」

 

ということはわかっているのに、なぜか気になってしまった。10年ぶりの宮崎駿監督作品だし、「君たちはどう生きるか」という小説は好きだし。

しばらく悩んだ。仕事だったので、「過去作から題名拝借しておいて全然違う話を作っちゃう問題」を同僚たちに披瀝しながら悩んだ。

 

それを聞いた同僚のおばさんの1人が言った。

「それだけ気になってるなら見に行けばいいじゃない」

 

確かに。

と言いつつ、「1人で見に行くのは嫌だなあ」と一瞬躊躇った。宮崎駿映画だ。ストーリーが「君たちはどう生きるか」と違ったとしても、きっとなんだかんだ言って感動してボロ泣きするような話ではあるのだろう。せっかくなら誰かと見に行って感想を共有したい。

 

が、何となく「誰」が思いつかなかったので、結局1人で見に行くことにした。うまい具合に翌日の仕事は休みときている。午後から某所の面接の予定があったけれど、その後に行くことができるだろう。所詮、面接の後は何となく心がふわふわしてしまい、無為に過ごすに違いないから、映画を見るのはちょうどいいかもしれない。

 

職場の福利厚生で、映画が安く見られるということは知っていた。よくよく調べると、どうやら1000円でチケットが買えるらしい。宮崎駿映画を公開初日に1000円なら悪くないな、と思ってチケットを申し込んだら、どうやら手持ちのポイントで更に割引できるらしい。

所持分は500ポイントあった。

 

映画のチケット1枚、500円也。

 

流石にワンコインなら、渋る理由がない。

手続きの末、無事に割引チケットを入手することができた。

 

翌日、面接が終わり、近場にちょうどいい時間帯に上映する回があったので見に行った。

 

そこで見た映画の感想は、

 

次回を待たれよ......!

 

 

 

 

 

呟き160:バファリンの半分は優しさでできている

 

人生が、ままならない。

 

今までの人生において、「捨て身で取り組んだこと」とか「どうしてもその選択肢しかとりたくない」と考えて、それなりの戦略をもってリソースも割いてきた案件は、何だかんだ結果を出してきた。私立の中学に行くとか、憧れの進学校に行くとか、編入するとか、正社員として就職して、ちゃんと大学を卒業するとか。自分の人生はそういうものだと思っていた。「好き」というまっすぐな気持があれば、それを信じぬけばうまくいく、そう思っていた。

 

非正規だけど行きたかった場所で働きはじめた。仕事は大好きだった。とても楽しかった。いるだけで幸せだった。その反面で、とにかく吸収しようと、とにかく役に立てるようにと、常に神経を張っていた。専門資格をとるために通信の大学に通い始めた、大して結果は出なかったけれど英語だって勉強しなおした。3か所の図書館を使い分けて勉強したし、知るための資料も片っ端から当たった。わざわざ新幹線に乗って京都のほうも見に行った。そういうことを、重ねていけばキリがない。

 

それでも、現実は残酷で、

「あなたなんて、いらない」

と言われてしまった。

ゆうに3週間近く経った今も茫然としている。

 

神様って、意地悪だな。もうこれ以上、どうやって努力をすればいいのかわからないよ。

と言いつつも、勉強の中で「もっと勉強したかったこと」とか「ブラッシュアップできたところ」がいくらでも思いつく。が、内心「これでもまだ足りないというのか」と思うと少し背筋が冷えるような気もする。専門分野の試験の出来が極端に悪かったとは到底思えないからだ。

 

あまりにも大きな衝撃は、受け入れるのに時間がかかる。

悲しいと思う気持さえ、後になってからやってくる。

 

結果を見た直後、最初に頭に浮かんだのは

「これから新しい道を模索しないといけないの、怠っ」

という感情だった。

 

発表があるまで、何度も頭の中で受かるパターンと落ちるパターンを繰り返し想像していた。けれど、この感情が一番にやってくることは想定していなかった。それは現役で大学受験に落ちたときと同じ感情で、「そういえば自分はこういう人間だったな」なんて思ったりした。

今からちょうど10年前の大学受験、はっきり言って勝算は皆無だった。センター試験の点数も確か600点くらいだったし(北大を受けるには720点くらい必要だった気がする)二次で挽回できるほどの学力があるわけでもない。それにも関わらず私はどうしても北大に行きたいという情熱がなかった。

が、「国公立」で「仏文」がやれそうな大学は道内には北大しかなかったし、家庭の方針で浪人して失敗するまで「道外」という選択肢を積極的にとることが難しかったので、「高校三年生だったから」という理由だけで無謀な挑戦をして、当たって砕けた、というだけの話だった。

 

北大は徒歩圏内なので、教養棟に合格発表を見に行ったのだが、普通に番号はなかった。

「来年も生物とか勉強しないといけないのか」

「浪人って、どうなるんだろう」

「また一年受験勉強しないといけないの、怠っ!!!」

 

という感情で人目もはばからず号泣しながら歩いていたら、通りすがりの学生にぼそっと「可哀そうに」と言われた。

その人もまさか、「合格可能性が低く、やる気もない受験生が、『もう一年、学べるドン!』という事実が辛くて泣いている」とはとても思わなかっただろう。

 

閑話休題

久しく忘れていたが、「試験に落ちるってこういう感覚だったな」なんて考えていた。

 

職場の廊下を歩きながら、上野の街を茫然と歩いたあの日からの1年を、確かに棒に振ったのだ、という現実に頭の中が真っ白になるのを感じた。

どうして自分はここにいるのだろう。なぜ今日も仕事をしているのだろう。

そう思うと、ただ空しかった。

 

昼休みになって、同じ試験を受けていた同僚(こっちは受かっていた)に

「『司書資格を抱いて死ね!』と言われました!」

と冗談めかして言ったら、まあ驚くほど慰められた。

「ほら、まだ他の試験が残っているでしょう」

「ここの仕事とかも面白そうじゃないですか」

 

こんなとき、「真正面から人に慰められる」という経験があまりなかったので、正直面食らった。このくらいの歳になると「踏み込みづらい」話において、他人ができることは静観くらいしかないということをみんな知っていて、迂闊に踏み込んでこないことが多いからだ。結局泣きつこうが落ち込もうが、自分の人生には自分で責任を取らないといけないし、どん底を這いまわって悲しみに浸りつづけるも、立ち上がって新たな道に進むのも自分次第でしかない。それは5年前の就活の時に嫌というほど学んでいた。

 

傍から見てどうだったかは置いておいて、一応仕事はきちんとやっているつもりだ。

お金をもらっている以上、自分のやるべきことは果たさないといけない、というのが持論である。

 

3週間の間、とにかくいろいろな人と話しまくった。

ここ最近で一番自分の中で「変わったな」と思う点が、「人と積極的にかかわるようになった」というところかもしれない。学生時代から会社員時代まで、とにかく精神的に常に余裕がなかった。「生活のためにお金を稼がないと」「春からの就職先を決めないと」「売り上げノルマを達成しないと」「この職場に自分がいる意味を見出さないと」常に何かしら目標やタスクに追われていた。仕事をやめて、時間的な余裕ができて、初めて「人との関り」という周囲に目を向けられるようになった気がする。

 

人と話すと、心が和んだ。

高校生の頃、自分の気持を誰かに打ち明けられず、文学に救われていた。リアリズムの文学は、世間で倫理的に間違っていることも、人間の弱さもつぶさに描かれている。作者は「感情を持っていること」自体に善し悪しを下さない。ただそこに、物語があるだけだ。正しくないとされる感情を持つことも、泣きたくなるような自分の弱さも、決して自分だけが持つ感情ではないのだ、ということを、徒に寄り添うのではなく、生き様を描くことで、自分の存在をそのまま肯定してもらえた気がした。

 

本当は、そんなに大それたことは必要なかったのかもしれない。

人の中で生きていて、それぞれが色々な感情を抱えていて、それは決して本の中だけでなく、自分のすぐ近くにずっとありつづけたものだったのだ。それに触れることは、本当なら、文学に耽溺するよりもずっと、容易いことであったはずなのだろう。

 

この文章を書きながら、Duoの一節を思い出す。

 

I feel for you, Jane. Grief does’t fade away quickly.

I'm OK. I'll get over it.

「ジェーン,気持ちはわかるよ。悲しみはすぐに消えるものじゃない。」

「大丈夫。乗り越えて見せるわ。」

 

この精神でいきたい。

 

というわけで、自分で想像していたよりも「悲しみの淵をのたうち回る」というようなことにはならなかった、一応。

今の自分にとって、人とのおしゃべりは、生理のときのバファリン(実は普段愛飲しているのはノーシンピュア。理由は一番安いから)のごとく、メンタルの打撃を和らげてくれている。

 

が、バファリンで生理痛の痛みは抑えられても、二日目の生理がきついことに変わりはないのと同じように、精神的に平穏そうに見えても、なんだかんだ心に結構な傷を負っているらしい。

事実、去年の焼き直しみたいな状況にまた今年もなっているが、まだ「切り替えて頑張るか!」とまで完全に吹っ切ることができず、どこかぼうっとした毎日を送っている。

 

慰めてくれた同僚が言った。

「また来年も受けたほうがいい」

と。

正直、自分のスキルや経歴をみたときに、「これを標榜して戦えるのは今年が最後のチャンスだろう」と思っていた。普段「職員」と日常的に接していることもあり、「就職試験の時点で二度も落とされているのに、いち就職試験に過ぎないことに何年もかけて執着する意味はあるのだろうか」とも思った。

 

が、この先長いこと働いていく未来を考えると、そこでの仕事はあまりにも魅力的だった。やってみたい仕事がたくさんあった。何よりも、好きだった。チャンスは少ないけれど、決して道が閉ざされたわけではない。そして、その方向に舵を切ることができる自由を、確かに今の自分は持っているのだ。

 

そう思うと、「まだ夢を見続けてもいいのかな」と思うようになった。

試験には落ちた。けれど、夢が終わったわけではまだない。

とりあえず、そう思うことにした。