7ちゃんねるーふみねぇ支店

アラサーニートのよしなしごと

呟き154:「自炊系オタク」という切り口で自分の創作遍歴を心ゆくまで書いてみた

 

よく人に「オタク」だと思われている。

「仏文オタク」だとか「文学オタク」だと自称しているが、そういう意味ではなく、世間一般でいうような、アニメとかサブカル系の「オタク」という意味合いで、だ。

確かに、大学生くらいの頃は多少アニメを見たりとか、ラブライブ!など特定の分野が好きになって片っ端から情報を漁り、多少詳しくなっている一面を見た人は私のことを「オタク」だと思うのだろう。

ただ、私はどの分野においても、せいぜいネットで無料でアニメを見たり、YouTubeでひたすら音楽を聞いたり、ネットで関連情報を漁りまくったりする程度で、「お金を落とす」という行為を滅多にしたことがない。

基本的にオタクはコンテンツにお金を落としてなんぼな面がある集団だと思っているので、それ前提で話が進むと全くついていけない。話していても何となく自分とは違うんだな、と思う。多分「オタク」側もそう思っていると思う。

 

なぜコンテンツにお金を落とさないのか、と言われると、理由はいくつかある。

一般的に「オタク」という方向に舵を切り始める中高生の頃、自由になるお金が少ないのと、買ったものに関して親に干渉されるのが面倒でグッズを買うという選択肢がなく、その感覚を自由になった後も何となく引きずっていたというのが一つ、そして「(夢中になる)コンテンツを自分で作ってきた」というのが今回のスレタイだ。

 

ごはん? 家庭料理ならある程度作れます。今日の夕飯はハンバーグでした。

という話ではなく。

 

「コンテンツ」、なんて言ってみたけれど、実際自分の頭の中に広がる膨大な世界たちを何と呼んでいいのかよくわからない。「小説のネタ」なんて呼んだりもするけれど、小説は一向に書ける気がしないから最近この呼び名も怪しいと思いつつある。

「物語」としておこう。

 

物語は、物心ついたときから自然と考えてきたような気がする。絵が描けるようになり、絵で描き表せない背景をあれこれ考えていたのが始まりだった。

 

最古のキャラクターは「ちびうさちゃん」

4、5歳くらいのとき、友達の家で「ちびうさちゃんごっこ」をした。多分幼稚園児の突発的なごっこ遊びだったと思う。友達が「ちびうさちゃん」で、私が「クルリナちゃん」、友達のお姉ちゃんが「きらちゃん」

筋なんてものはなく、「私、ちびうさちゃん! 」「私、クルリナちゃん! 」と言いながら手を広げてぐるぐる回っていた記憶がある。私が手に持っていたおもちゃのドライヤーが友達の頭に当たって、友達が泣いていた。その泣き顔を今でも覚えている。

ちびうさちゃんごっこ」は確かそのとき一度きりの遊びだった。

それを一人で覚えていて、キャラクターを作り、一人で膨らませた。

ちびうさちゃんたちの絵を描いては、物語を作った。

幼稚園児ながらに野望は果てしなく、頭の中でアニメ化する計画まで思いついて一人でニヤニヤしていた。

 

小学生になっても、絵を描いて想像するのが好きなことは変わらず、自由帳ばかり何冊も新しいのをねだった。

その延長で絵本もいくつか描いたりしていたような気もする。

ちびうさちゃんが飛行機で「宇宙」へ行ったり(内容は『こんとあき』のパクリオマージュ)、子供忍者たちが宝の地図を見つけて宝探しに行く話で、よくある感じの紆余曲折を経て宝物を見つけた後、「直通」の「地下鉄」で帰る話(実は地図を見つけた時点で地下鉄一本で行けることがわかっている。最初から地下鉄で行けよ)など、今考えると笑ってしまうような話も多い。

 

絵を描くから、物語が生まれる。

昔から、同世代の子に比べて、決して絵がうまいわけではなかったのだけど、絵と物語は私の中で切っても切り離せないような存在だった。

小3の頃はやたらキャラクターを作っていた気がする。

ちょうどサンエックス(『アフロ犬』とか『たれぱんだ』とか)がめちゃくちゃ流行っていた時期だったので、そういう感覚で量産していた。多分10数カテゴリーで数十キャラくらい作ったのではないだろうか。

それとは別枠で4コマ漫画も描き始めた。

小学生に発想力とコンプラ意識なんてかけらもないので、自分が見た漫画や本、アニメの内容を丸パクリしたものもザラで、我ながら大して面白いものではなかったと思う。

 

小4の頃になると少し進んで、ストーリー漫画らしきものを描くようになった。

コマ割りはめちゃくちゃ、キャラクターもストーリー、当時好きだった漫画(トゥシューズ)の継ぎはぎみたいなみたいなものだったけれど、私は自分の作ったキャラクターを愛していた。

絵を描くのが好きな友達同士で、漫画雑誌を作ったこともある。「キラロ」(固有性があって、語感がよかったので「キララ」と「キロロ(リゾート施設)」を混ぜた)という名前で、一人5ページのストーリー漫画を描いてホッチキスで留めた。

全員コンプラ意識が皆無なので、それぞれ何の悪意もなく好きな漫画を剽窃していた。それでも、楽しかった。

自分のキャラクターのプラバンやラミネート下敷きを作ったり、クリスマスに12月分の季節の絵を描いたカレンダーを作ってプレゼントしたりした。(友達は2人いて、それぞれキャラクター被りなしに全く別のものを作った気がするので、最低でも24種類くらいのカテゴリがあったことになる)

友達の一人がハギレとティッシュで人形を作るのが得意で、誕生日プレゼントに私のキャラの人形を作ってくれたこともあった。

 

漫画を描くには、自分の好きなキャラクターの絵だけでなく、背景や状況説明のためにあまり気の乗らない絵も描かなければならない、ということが徐々にわかってきたので、このころ既に「自分は漫画家にはなれないだろうな」と見切りをつけていた。

なら小説を書いてみよう、と思い少し書いてみたものの、このときはまだ絵を描くほうが楽しかったので、相変わらずキャラクターを作っては漫画を描いたり、描ききれない分は想像を膨らませたりしていた。

 

中学受験のために一時期中断したものの、相変わらずキャラクターを作るのは好きで、受験勉強の合間を縫ってやった自由研究でオーケストラ楽器について調べたときでも(図鑑の内容の焼き直し)オーケストラ図を描くときに総勢30人くらいの絵を描いて、後で全員に名前と設定を作った。

 

中学生になった後も、創作意欲は衰えず、めちゃくちゃキャラクターを量産していた。1クラス分男女36キャラを作ったりとかもした。漫画も描いていて、描き進めては友達に見せたりしていた。

この頃には内容はハチャメチャながらも一応オリジナルストーリーを作ることはできるようになっていた気がする。

通学時間が恐ろしく長かったので、とにかく本を読んでいた。そのため、多少なりと「物語づくり」の引き出しができてきたからかもしれない。

中学の学校祭では、毎年三年生が自作台本の演劇をやっていたのに触発されて、古い携帯のメール画面を使ってひっそり脚本を書いたりもしていた。

 

高校入学後、しばらく日常生活に忙殺されていたのだが、高校一年の冬、毎年出ている生徒会報誌の後半が一種の文芸誌のようになっていることを知り、「そうだ、小説を書いてみよう」と思い始める。

校内実力テストの勉強そっちのけで書いたものの、結局締め切りに間に合わず、テスト結果も悲惨という結果に終わった。が、そこで創作意欲が復活し、中学時代のキャラクターたちをブラッシュアップしたりアップデートしたりしつつ、新しく自分の高校をモデルにした高校生のキャラクター達を作ったりした。もちろん小説を書こうとしたのだが、序盤だけ書いて今も挫折中だ。

大学受験勉強の憂さ晴らしで、ノートに彼らが主人公の漫画を描くようになった。ストーリーものではなく、基本一話完結の緩い6コマ漫画だ。これは浪人時代、予備校のいろいろな友達に見せていた。(だから予備校に何しに行っているんだ)

 

大学受験に関しては、「落ちるべくして落ちた」というくらい現役時も浪人時も勉強していなかったのだが、当時の自分は全く先の見えない未来におびえるばかりで、自分の世界に逃げていた。

浪人時、大学合格が決まるまで毎日日記をつけていたのだが、基本的に当時好きだった人への遣る瀬無い想いと(なんやかんやあって6年後に付き合って、2か月弱で音信不通になる未来がくるなんて露ほども知らない)、高校生の話のスピンオフ(本編もできていないくせに何を言う)「高校時代は名物カップルだった現役大学生と浪人した彼女が、1年かけて破局する話」の設定を捏ね繰り回している記述しかない。

当時、漫画なんかも描いていたくせに、「本腰を入れて小説を書くのはさすがにいけない」という謎の自制があり、設定を練ることにとどめていた。が、このおかげで「台詞ありきのパワープレーストーリー」を脱することができ、伏線の張り方も何となくわかってきた。(書けてないんだけど)

 

進学して晴れて自由の身になり、「さて小説を書くぞ」と意気込んだものの、ちっとも書けなかった。

というのも、予備校の自習室で想像していた「大学生像」があまりにも自分の常識とかけ離れていたからだ。酒を介したコミュニケーションも、同世代だけで歩く真夜中の道も、学生同士で車に乗って遠くへ出かけることも、何もかもが新しかった。衝撃だった。

で、一度諦めた。

もうこれは、一度腰を据えて、大学生活と言うものを吸収しよう、と思った。そんな感じでプラプラと普通の大学生活を謳歌していた。

が、浪人時代に好きだった人に「ずっと楽しみにしてたんだけど、あんた、いつ小説を書くの」と発破をかけられたのをきっかけに『ファンタジア』という17,000字くらいの短編小説を2週間くらいで書く。

それで弾みがついたのもあり、『笑顔(1/2)』を書く。

 

大学二年生

このあたりからかねてより考えていた「文芸サークルにちゃんと入りたいな」という思いを実現すべく、Twitterでサークルのアカウントを探し出してコンタクトをとった。 当時そのアカウントの中の人が、先日ハワイに行くきっかけになったS女史で、親切にも部室に連れて行ってくれた。

本棚の夥しい文庫本を見て、入部を即決。

締め切りがあるというのはいいもので、定期的にそれなりの完成度の小説を書けたのはこの時期だけだ。『笑顔2/2』『いとへんのきょうだい』など、この時期に書いた物語は、今でも読むと、一種の「熱さ」を感じる。

 

大学三年~名古屋時代

編入試験の受験勉強からの日常生活に忙殺されて、書けない。

名大でも文芸サークルに入ろうと思ったが、結局幽霊部員になった末にやめた。

新しい小説の構想ができたものの、結局書ききれず。

 

社会人時代

卒論の時期にパソコンが壊れたため、しばらくパソコンなしだった。一時期、ネカフェに通って何とか一本完成させるも許せない出来。その年の冬にパソコンを手に入れたものの、文章が下手になってしまい、書けない。

仕事をやめ、受験勉強をしていた時期に現実逃避から久しぶりにそこそこ本を読み、これもまた現実逃避から小説を書いてみるとなんとまあ、すらすら書けること、書けること。結論:インプットは大事。

 

なんだか書いていたら楽しくなってきちゃった。

今まで作ったキャラは3~500人くらい?

構想どまりの物語のネタ(派生形も含む)はさすがに100前後くらいはあるのだろうか。

先も言ったように一クラス丸ごとの人間を作ってみたり、「主人公が高1~高3までの人間関係をそれなりにリアルに」(毎年クラス替えあり、高3時に主要キャラ全員同じクラス設定なし、主人公の3年分のクラス全員、部活等周辺の人間関係、主要キャラの家族等のキャラ設定込み)つくったりしたのはさすがに多いけれど、少なくとも一つの物語には最低でも5,6人のキャラクターがいるから、今は忘れて散逸したのも含めるとあながち盛った数字でもないと思う。

 

これだけあれば、妄想も、考察も、全部自分の考えた話でできる余地があると思いませんか。

どうやって遊ぶのかと言うと、常にいろいろな話のストーリーラインを思い浮かべては考えるんです。小説としては書けなくても、プロットレベルなら一通り構成の見通しがついているものが多い(体感7,8割)のですが、定期的に頭の奥から引っ張り出してきてはしこしこと構成を練ります。この人物はどういう背景があって、何を考えて、どう行動したら面白いだろう、って。私は結構悪ふざけで安直に設定を決めてしまうきらいがあるので、適当に考えた設定の点と点を結ぶような「答え」が閃く時間が至高です。脳汁ドバドバ出ちゃう。昔ハマったコンテンツに定期的にプチブームが来て、いくつかある趣味をループする、みたいな感じで物語をついばんでは、少しずつ練り直したりしています。

だから、「妄想するの好きでしょ」みたいに揶揄されるの、嫌い。登場人物は基本的に自分と他人だと思っているし、私は「自分で作った物語の箱庭世界」を決して一人称視点で楽しんでいるわけではないからです。そのためにもキャラデザと設定は練ります。キャラデザインが固まったら、とにかくいろいろなシチュエーションで絵を描いてみて、キャラの顔(イメージ)を定着させます。そうなると頭の中で自分の絵柄で勝手に動くようになります。なので、基本的に物語は全部、アニメーション的な感じで動いています。だから小説を書くときに結構困ったりします。文章は映像のように「同時に動く」ということができず、見たままを文章にしようとするとテンポが悪くなったりするからです。

 

また、一度書きかけて挫折した小説も、時間を置いて見て見ると案外簡単に「答え」や「解決方法」が見つかるのも面白いところです。なので、どんな物語の種も、一時期距離を置いたからといって決して捨て去っているわけではありません。物語を面白くできるタイミングは今じゃない、というネタは私の中に結構あります。

 

例えば、「星空同盟」という今も挫折中の小説ですが、中2の頃に生まれたハチャメチャコメディだった原型(漫画だった)を中3、高1くらいで擦って「小説になりうるプロット」を作っていきました。が「今なら書いてもいいかな」とちゃんと思えたのは社会人になってからです。

私は自分の経験したこと(感覚)しか書けないので、働くまではどうしても「教員(社会人)目線で見た主人公たち(中学生)はどう映るのか」想像がつかなかったので、「社会人一年目の今なら、キーパーソンである臨採の先生の台詞も書けるな」と思い、昔の原稿を引っ張り出してきました。まあ、先生が出てきたくらいのところ(ド序盤)で止まってるんですけど。

 

幼稚園の頃に考えた「ちびうさちゃん」も時々練り直したりします。

ちびうさがうさぎなのか、人形なのか、はてまた宇宙人なのか結論はついていないし、どういう話なのかまでは全く考えていないのですが、とりあえず「幼稚園児が語感の響きが気に入って付けた謎の名前」である「クルリナちゃん」は本名が「枢木(くるるぎ)りな」なんだということになりました。

 

この小説をもう永久に書かないか、というと、多分絶対そんなことはないと思います。またいつか思い出して練り直したり、書いたりはするでしょう。だって筋は面白いもの。それだけは絶対的な自信があります。少なくとも、私が面白いと思っていればいいんです。

 

私は別に、小説家になりたいと思ったことはあまりなかったりします。

ペンで食っていくんだ、という意思がとても希薄です。ある意味、生計を立てる術としては興味がないのかもしれません。文章が書けるのは、特技程度で十分。

 

物語を考えていると、昔から大人によく「そろそろ現実を見なさい」と言われてきたので、「じゃあ商業ベースに乗せれば文句を言わないんだろうか」と小説家を目指す、というか、浪人時代に「社会性が皆無らしいから小説家になるしかない」と、書きもしないのに思い悩んでいただけです。

教育のたまもので、一応志向としては普通の人間になってしまった。本来普通の感性の人間じゃないのに。なので、一番大切なのは、安定して食べていくことだと思っています。ワープアになってまで小説家になりたいと思えない。現状私はワーキングプアですが、「小説家になるため」にと言う理由で前職はやめられなかったと思います。

 

私は生来怠惰なので、自分の時間がたっぷりあったとしても、その時間を小説を書くことに費やさない、ということをわかっています。

もしかしたら、頭の中にある膨大なプロットや、キャラクター設定は誰の日の目を浴びることもないまま、私と一緒に死んでいくのかもしれません。

いつか誰かが少し面白がってくれるように、いつか誰かが自分の弱いところや嫌なところを、「こんな風に考える人が自分のほかにもいるんだ」と思えるような、そんな物語を、皆さんの前に並べてみたいと思います。

自分がかつて、心を動かされてきた数々の物語のように、いつか私の物語が、だれかのすぐそばにそっと立っているような存在になれたらいいなと思っています。