最近、めちゃくちゃ小説を読んでいる。
机に向かうよしなしごとがあるときに限って読書というのは捗るもので、なんだかんだ一日一本くらい中編小説を電子辞書で読破しては「何やってんだろう」と思っている。
さて。
小説の基本はリアリティだ。どこまで人間に踏み込んで綺麗なところも人には見せたくないようなところも描き切るかだ。これが一番大事。
そして、これと同じくらい大事なものに「ほんの少しのユーモア」があるところ。
ほんの少しでいいんです。スパイス一振りくらい。あまりにかけ過ぎると戯作になってしまうから。
でも、ユーモアあってこその正直というのは本当で、これがカケラもないとくると、息苦しくて読めたものじゃない、というのが持論です。
そもそも、小説(ここで言う『小説』は仏文学です)は女子供が慰みに読むしょーもないものでして、「楽しければ良し!」程度のものだったんですよ。
そこに「リアリズム」という手法を持ち込んで、今我々が「文学」と呼ぶような近現代文学としての小説が生まれたのが19世紀のフランスなんですね。
リアリズムの第一人者といえばフローベール。代表作の『ボヴァリー夫人』の登場人物造詣はあまりにもリアルで、特に主人公のエマは今読んでみても「あー、こんな女いるわ(苦笑)」という感じなのですが、所々にユーモラスな描写(主にエマの旦那のシャルル)があって微笑ましいなと思いながら読めます。
一見コメディリリーフとしか見えない旦那ですが、この物語で一番初めに登場するのはシャルルで、主人公のエマよりも長生きします。
クライマックスのシーンでの彼の貫禄は、単なるコメディリリーフとは思えない人間「らしさ」を感じてゾクっとします。
あー、小説って楽しい〜。
このリアリズム(日本文学史で厳密に言えば自然主義小説になります。リアリズムと自然主義は結果的に似たようなものです)ですが、明治維新後に日本に伝播します。
が、日本だと「なんかちょっと性癖が歪んだ人の私小説」みたいな方向にいっちゃいます。有名どころだと田山花袋の『布団』。
10年ぶりくらいに読んだんですが、しょーもない話です。まじで。
で、この後に「反自然主義」として夏目漱石や森鴎外などに代表される「ロマン派」が台頭します。ちなみに仏文だとロマン派→リアリズムの流れなので、日本だけ逆行してます。
でも正直日本の自然主義小説をもって「これが自然主義でーす」なんで標榜されたら私でも反自然主義とか言っちゃうかもしれないです。
正直ほとんどの人が、ここまで書いてあることなんじゃらほい、って感じだと思うんですけど、多分そんなに難しい話はしてないです。
小説は結局娯楽だと思います。
楽しくてなんぼです。
「文学作品」というと難しく思えるかもしれないですが、その時代時代で愛されて後世まで伝わっているから「名作」なんです。
「テスト勉強で名前だけ知ってるけど読んだことない小説」って恐らくたくさんあると思いますが、騙されたと思ってそのうちの一冊を手にとってみてください。
予想外に面白かったりすると思います。