「高慢と偏見」ね、一応読んだことはあるんですよ、ええ。名作ですもんね。英文学のとっても名門どころであります。
序盤で挫折しました。
こう言っちゃなんだが、全体の雰囲気がどことなくキャンキャンしていて、なんというか、「女の噂話」を延々と読んでいるような気分になり、早々に断念した。
「高慢と偏見」の話はこれでおしまいです。
すみません、Pride and Prejudice. って言いたかっただけです。邦訳に比べて原題のカッコいいことよ。
閑話休題。
私はよく「プライドが高い」と言われる。
母親も割とそういう人間だったので、人から言われるまでは気がつかないほど自然と、そういう人間に育ってしまった。
私は本来、普通に社会で生きている能力が劣っている人間なので、よく言えば「弄られキャラ」、端的に言えば「嘲笑の対象」に比較的なることが多かった。
そう言う人間を学歴でギャフンと言わせるのが趣味だ。
私を散々馬鹿にした人間が、表面上「あっそ」と醒めた反応をしていたとしても、陰でほぞを噛んでいる様子を想像すると楽しくて仕方がない。
人間は「ギャフン」とか言わない、というのはさておき、実際に本人が「ギャフン」なんて言わなくても、目的を遂行したことで少なくとも自分の溜飲は下る。
それでいいのだ。
時々「プライドが高くて可哀想だね」と言われることがある。
なるほど、たしかに進学校に行ったのも、編入してまで旧帝大に入ったのも「見栄っ張りの成れの果て」感がある。
心がちくりとするが、もうそれ以外の生き方ができないので曖昧に笑って誤魔化すしかない。
何となく真理だと思っている不文律に
「見栄は人を救う」
というのがある。
恐らく私にプライドがなければ、今頃派遣の工場ライン工とか、百貨店のアルバイト店員に落ち着いていたかもしれない。
それくらい、私は社会生活や集団生活に、とてつもなく向いていない。
そう思うと、私はプライドだけで3年間自分を食わしてきたようなもののような気がする。
独立する目処など全然ないので、いずれは誰かに雇われて、また社会の一員として働いていくのだけれど、「誇り」で食べていく、ってなんだか少しカッコいい響きな気がしませんか。
と、思ったけど、よく見たら「埃を食べている」みたいな字面だな。
ちょっとマロニエの木でも探すかな
(🤮)