7ちゃんねるーふみねぇ支店

アラサーニートのよしなしごと

呟き113:自由について

 

自由、という言葉で許されている人間だと思うのだが、個人的に「自由に何かしてみて」というのがあまり好きではない。

 

「自由に」と人が言うときには、それなりの「想定」というものが少なからず言外にあって、その枠組みの中で「自由」にすることを求めているはずだ。

その「想定」をきちんと提示しないのはずるい、というか話者の欺瞞だと思う。

 

その2

技術も知識もないのに徒に「自由」と放り出されることにあまり意味がないと思う。人間の歴史というのもそれなりにあるので、多くは過去に確立されたメソッドを取り入れることで、スキルアップすることは比較的容易だからだ。特に何も知らないど素人の場合は。

「試行錯誤の経験を通して人は成長するんだ」

ごもっとも、でもこれはあくまでも大人目線の話でしかないのかなと思う。むしろ、まっさらな時点である程度の基礎や型を叩き込んで、成功体験を増やすことで自ずと試行錯誤の素地はできるんじゃないかと思う。

 

結論の提示と、基礎の指南、学校教育に欠けているのはこの部分なのかなぁと思う。

思えば、「この勉強が何を目的にして、どういう力を伸ばすのにつながるのか」というのが、教育を受けている身ではよくわからなかった。特に国語。「めあて」とか「目標」というのは都度提示されていたと思うのだけど、学生時代に欲しかったのはそういう子供向けに噛み砕いた見せかけの「めあて」ではなくて、学習指導要領に載っているような、もっと端的で、根本的なものだった気がする。

 

自由、と言う言葉に全てを委ねてしまうのは説明側にとってとても楽だと思う。けれど、評価する側も「枠」に基づいてしか評価をしないのだから、その枠をきちんと教えずに「自由」と言ってしまうのは言うならば後出しじゃんけんと同じではないですかね。

 

こういうことをごちょごちょ考えていくと、自分には「教育」って本当に向いていないなと思う。教員をやっている人は本当に尊敬しかない