好きなものがある、ってどうなんでしょう。
私の場合、極端に「好きなものしか好きではない」ので、自分を損ねないように自分の人生を軌道修正して行くことにそこそこ苦労している。
例えば、形だけでも高校生までに運動部に入ればよかったかな、とか、法律や経済を大学の専攻として選んでいたらな、とか、塾講師のバイトをしておけばよかったな、とかそういう類いのだ。
大学で一番好きなものが勉強できる、というのはとてもラッキーというか、幸せなことだったと思う。
そういう方向に向かうように自分を軌道修正してきた、という努力はしたけれど(例えば現代小説やラノベにハマる未来だって決してなかったとは言えない)、自分にとって最大級の娯楽であるものを大手を振って勉強できる場所が存在する、というのは恵まれていたとしか言いようがない
でも文学そのもので自活していくのは相当厳しくて、文学の知識を直接活かしながら働ける場所、というのはほとんどない気がする
ここで誤解しないで欲しいのだが、私はそもそも「何者かになりたくて挫折」した人間ではないということだ。
自分の描く物語が、いつか商業ベースに乗ればいいなという淡い野望が無いわけではないけれど、それは単に商業的に認められないと私の想像力を「妄想」で片付けようとする人が一定数いるからだ。
そういう意味で、私は自分の文章で本気で食べていきたいと思っているわけではないし、普通に平凡に生きていけるなら、そうしたいと思っている。
元来普通に生きられる人間ではないのに、ここまで普通志向になったのは、ひとえに教育の賜物だと思っている。
普通にならなかったとて、子どもの頃から能力を尖らせていれば、しあわせになれたのか、その世界で食べていけるほど武器にできたのか、そんなことは今更知る由もない。
けれど、好きなものがある人生って、果たして本当に幸福なのだろうか。そんなことを少しだけ、考える