7ちゃんねるーふみねぇ支店

アラサーニートのよしなしごと

呟き155:野に咲く花のように

 

友人のS女史が最近小説を書いている。

短期間で数万字レベルの物語をどんどん出していくその姿勢に本当に感服する。

こういうのを間近で見ていると、「自分もいい加減新しい小説を書きたいな」なんて思ったりする。

今書いているものは、長編だったり何かの続きのうちにあるものだったりして、「見せて」と言われたときにパッと出せるようなものではない。そのせいで未だに7年くらい前に書いた小説を見せている。現状、その短編の完成度が一番高いというのも恥ずかしい話だ。

 

なんかこう、一話完結タイプで、「まっすぐな主人公がくじけずに頑張る話」みたいな王道ストーリーを描いてみたいな、とふと思った。

ライン漫画で「学園アリス」という名作をかじり、どんなときもくじけないで「ウチは負けへんで」って立ち上がる佐倉蜜柑ってすごいキャラクターだなあ、と思いまして。

 

私の小説の原点はリアリズムなので、「素直なハッピーエンド」「明るく元気な王道主人公」って割と少ないんですよ。プロット段階でも。身も蓋もないことを言うと、人間は挫けることも多いので、「ウチは負けへんで」を地でいけるのは超人だし、理想論だし、もっと言うとファンタジーですらあると思っている。人生のタイミングにおいてはそういう踏ん張り方が必要なことも多いのだが、「それが地」だとすると、そんな人生果たして楽しいのかな、と。

 

話が少し逸れてしまった。

「明るくてまっすぐな主人公が、どんな困難にあっても健気に頑張る」というストーリーを作ろうとして、気づいたことがある。

それは「理不尽」に遭わないと成り立たない点だ。

 

そもそも、「健気に頑張る主人公」は「無過失」である必要がある。

法律上の意味ではなく、「主人公の過失で誰かに迷惑(精神的なものを含む)をかけている状態ではない」という意味だとしてほしい。

例えば、主人公が本人の頑固さゆえに味方がいない、というキャラ付けだとして、その主人公が孤軍奮闘するような話はいわゆる「健気な話やなあ」とはならないだろう。

また、王道の「元気で明るい」人物を主人公として配すると、主人公が起点となる出来事で一連の「事件」を起こすのは難しい。元気で明るい人は基本的に人に好かれるし、人間関係を積極的に構築できるからだ。というか、主人公にマイナス面を付与しすぎると、「人間味」が強くなり、「健気」と言う印象は薄れる。例えば、さっきの「頑固な主人公」が「孤独だ、つらい」とめげる場面があったとしても「でも、まわりの人が助けてくれようとしたのに、あんたいうこと聞かなかったじゃん」という場面がよぎって一辺倒に感動できない、というのが実情ではないだろうか。

じゃあどうして「元気で明るい主人公」が「事件」の中心人物になってしまうのかというと、そのコミュ力の高さゆえに「関係ない話に首を突っ込むから」だと思っている。例えば、「走れメロス」もメロスが買い物中に聞いた「隣町」の王の噂話で義憤を募らせた、というのが発端で物語が始まる。ほら、本来関係ないじゃん、主人公。

 

主人公に過失がなく、かつ困難に遭うには、もう「環境」をどうにかするしかない。例えば「出生の秘密がある」とか「戦争中」とか、もう個人の努力ではどうにもできない「環境」というか舞台装置が必要なのだ。

だから朝ドラって戦争時代の話が多いんだろうなあ……。

そもそも、人に感じる「健気」という印象がそもそも「理不尽」ありきなのかもしれない。

あと、こういう話はどちらかというと「リアル」というよりは「エンタメ」というか「ファンタジー」寄りの部類なんだな、きっと。

「明るくまっすぐにめげない」主人公はもしかしたら現実にはいないかもしれない。でもそういう人を「理想」にしたり「憧れ」を感じることは、よりよく生きていくためには大事なのではないでしょうか。

 

この文章を書きながら、以上の話を凝縮したような「主人公が健気」というネタのストックがあったことを思い出す。でもこの話もそこそこ膨らませてしまったせいで現状手に負えないんだよな。

サクッといい話書きたい~~~~