7ちゃんねるーふみねぇ支店

アラサーニートのよしなしごと

呟き160:バファリンの半分は優しさでできている

 

人生が、ままならない。

 

今までの人生において、「捨て身で取り組んだこと」とか「どうしてもその選択肢しかとりたくない」と考えて、それなりの戦略をもってリソースも割いてきた案件は、何だかんだ結果を出してきた。私立の中学に行くとか、憧れの進学校に行くとか、編入するとか、正社員として就職して、ちゃんと大学を卒業するとか。自分の人生はそういうものだと思っていた。「好き」というまっすぐな気持があれば、それを信じぬけばうまくいく、そう思っていた。

 

非正規だけど行きたかった場所で働きはじめた。仕事は大好きだった。とても楽しかった。いるだけで幸せだった。その反面で、とにかく吸収しようと、とにかく役に立てるようにと、常に神経を張っていた。専門資格をとるために通信の大学に通い始めた、大して結果は出なかったけれど英語だって勉強しなおした。3か所の図書館を使い分けて勉強したし、知るための資料も片っ端から当たった。わざわざ新幹線に乗って京都のほうも見に行った。そういうことを、重ねていけばキリがない。

 

それでも、現実は残酷で、

「あなたなんて、いらない」

と言われてしまった。

ゆうに3週間近く経った今も茫然としている。

 

神様って、意地悪だな。もうこれ以上、どうやって努力をすればいいのかわからないよ。

と言いつつも、勉強の中で「もっと勉強したかったこと」とか「ブラッシュアップできたところ」がいくらでも思いつく。が、内心「これでもまだ足りないというのか」と思うと少し背筋が冷えるような気もする。専門分野の試験の出来が極端に悪かったとは到底思えないからだ。

 

あまりにも大きな衝撃は、受け入れるのに時間がかかる。

悲しいと思う気持さえ、後になってからやってくる。

 

結果を見た直後、最初に頭に浮かんだのは

「これから新しい道を模索しないといけないの、怠っ」

という感情だった。

 

発表があるまで、何度も頭の中で受かるパターンと落ちるパターンを繰り返し想像していた。けれど、この感情が一番にやってくることは想定していなかった。それは現役で大学受験に落ちたときと同じ感情で、「そういえば自分はこういう人間だったな」なんて思ったりした。

今からちょうど10年前の大学受験、はっきり言って勝算は皆無だった。センター試験の点数も確か600点くらいだったし(北大を受けるには720点くらい必要だった気がする)二次で挽回できるほどの学力があるわけでもない。それにも関わらず私はどうしても北大に行きたいという情熱がなかった。

が、「国公立」で「仏文」がやれそうな大学は道内には北大しかなかったし、家庭の方針で浪人して失敗するまで「道外」という選択肢を積極的にとることが難しかったので、「高校三年生だったから」という理由だけで無謀な挑戦をして、当たって砕けた、というだけの話だった。

 

北大は徒歩圏内なので、教養棟に合格発表を見に行ったのだが、普通に番号はなかった。

「来年も生物とか勉強しないといけないのか」

「浪人って、どうなるんだろう」

「また一年受験勉強しないといけないの、怠っ!!!」

 

という感情で人目もはばからず号泣しながら歩いていたら、通りすがりの学生にぼそっと「可哀そうに」と言われた。

その人もまさか、「合格可能性が低く、やる気もない受験生が、『もう一年、学べるドン!』という事実が辛くて泣いている」とはとても思わなかっただろう。

 

閑話休題

久しく忘れていたが、「試験に落ちるってこういう感覚だったな」なんて考えていた。

 

職場の廊下を歩きながら、上野の街を茫然と歩いたあの日からの1年を、確かに棒に振ったのだ、という現実に頭の中が真っ白になるのを感じた。

どうして自分はここにいるのだろう。なぜ今日も仕事をしているのだろう。

そう思うと、ただ空しかった。

 

昼休みになって、同じ試験を受けていた同僚(こっちは受かっていた)に

「『司書資格を抱いて死ね!』と言われました!」

と冗談めかして言ったら、まあ驚くほど慰められた。

「ほら、まだ他の試験が残っているでしょう」

「ここの仕事とかも面白そうじゃないですか」

 

こんなとき、「真正面から人に慰められる」という経験があまりなかったので、正直面食らった。このくらいの歳になると「踏み込みづらい」話において、他人ができることは静観くらいしかないということをみんな知っていて、迂闊に踏み込んでこないことが多いからだ。結局泣きつこうが落ち込もうが、自分の人生には自分で責任を取らないといけないし、どん底を這いまわって悲しみに浸りつづけるも、立ち上がって新たな道に進むのも自分次第でしかない。それは5年前の就活の時に嫌というほど学んでいた。

 

傍から見てどうだったかは置いておいて、一応仕事はきちんとやっているつもりだ。

お金をもらっている以上、自分のやるべきことは果たさないといけない、というのが持論である。

 

3週間の間、とにかくいろいろな人と話しまくった。

ここ最近で一番自分の中で「変わったな」と思う点が、「人と積極的にかかわるようになった」というところかもしれない。学生時代から会社員時代まで、とにかく精神的に常に余裕がなかった。「生活のためにお金を稼がないと」「春からの就職先を決めないと」「売り上げノルマを達成しないと」「この職場に自分がいる意味を見出さないと」常に何かしら目標やタスクに追われていた。仕事をやめて、時間的な余裕ができて、初めて「人との関り」という周囲に目を向けられるようになった気がする。

 

人と話すと、心が和んだ。

高校生の頃、自分の気持を誰かに打ち明けられず、文学に救われていた。リアリズムの文学は、世間で倫理的に間違っていることも、人間の弱さもつぶさに描かれている。作者は「感情を持っていること」自体に善し悪しを下さない。ただそこに、物語があるだけだ。正しくないとされる感情を持つことも、泣きたくなるような自分の弱さも、決して自分だけが持つ感情ではないのだ、ということを、徒に寄り添うのではなく、生き様を描くことで、自分の存在をそのまま肯定してもらえた気がした。

 

本当は、そんなに大それたことは必要なかったのかもしれない。

人の中で生きていて、それぞれが色々な感情を抱えていて、それは決して本の中だけでなく、自分のすぐ近くにずっとありつづけたものだったのだ。それに触れることは、本当なら、文学に耽溺するよりもずっと、容易いことであったはずなのだろう。

 

この文章を書きながら、Duoの一節を思い出す。

 

I feel for you, Jane. Grief does’t fade away quickly.

I'm OK. I'll get over it.

「ジェーン,気持ちはわかるよ。悲しみはすぐに消えるものじゃない。」

「大丈夫。乗り越えて見せるわ。」

 

この精神でいきたい。

 

というわけで、自分で想像していたよりも「悲しみの淵をのたうち回る」というようなことにはならなかった、一応。

今の自分にとって、人とのおしゃべりは、生理のときのバファリン(実は普段愛飲しているのはノーシンピュア。理由は一番安いから)のごとく、メンタルの打撃を和らげてくれている。

 

が、バファリンで生理痛の痛みは抑えられても、二日目の生理がきついことに変わりはないのと同じように、精神的に平穏そうに見えても、なんだかんだ心に結構な傷を負っているらしい。

事実、去年の焼き直しみたいな状況にまた今年もなっているが、まだ「切り替えて頑張るか!」とまで完全に吹っ切ることができず、どこかぼうっとした毎日を送っている。

 

慰めてくれた同僚が言った。

「また来年も受けたほうがいい」

と。

正直、自分のスキルや経歴をみたときに、「これを標榜して戦えるのは今年が最後のチャンスだろう」と思っていた。普段「職員」と日常的に接していることもあり、「就職試験の時点で二度も落とされているのに、いち就職試験に過ぎないことに何年もかけて執着する意味はあるのだろうか」とも思った。

 

が、この先長いこと働いていく未来を考えると、そこでの仕事はあまりにも魅力的だった。やってみたい仕事がたくさんあった。何よりも、好きだった。チャンスは少ないけれど、決して道が閉ざされたわけではない。そして、その方向に舵を切ることができる自由を、確かに今の自分は持っているのだ。

 

そう思うと、「まだ夢を見続けてもいいのかな」と思うようになった。

試験には落ちた。けれど、夢が終わったわけではまだない。

とりあえず、そう思うことにした。