7ちゃんねるーふみねぇ支店

アラサーニートのよしなしごと

呟き30:「いとへんのきょうだい」の裏話

https://ncode.syosetu.com/n6312cw/

 

小説を読ませて、と言われたときには大抵この小説のURLを送る。

 

理由はこれ一話で完結しており、主張が強すぎず、なんとなく「いい感じ」な終わり方をしていて、目下私の提供できる小説のうちで一番完成度が高いからだ。

7年前の小説の完成度が一番高いと言うのも恥ずかしい限りだが、それ以降に書いたものは突発的に書いた一万字以内の短編か、ギリギリ美味しくない料理みたいな出来栄えのものなので、軽く悩んだ末これを出すことが多い。

 

さて、この話は括りとしては「家族の死の受容」というところに落ち着いている。

 

はっきり言って、そういう話を書くつもりではなかった。

 

実はこれ、元々は大学受験の話で、テーマとしては「周囲の期待もある以上投げ出すこともできないけど、ダメ元のものに真正面から当たって砕けるのってキツイよなあ」という方向性の話だった。

ダメ元のもの、というのが大学受験で、作中に受験の話がちょいちょい出てくるのはその名残だ。

 

初稿では一通りの話の後に「受験に失敗した」という下りがあり、2つのテーマを絡ませることで重厚な話にする狙いがあったのだが、この話の落とし所が微妙だったのと、そもそも二つのテーマの親和性が悪かったので、バッサリカットした、という経緯がある。

 

正直、私自身にそういった経験が無い中で「人の死」に纏わる話を書くことに、すごく葛藤があった。

「佐野絆」という主人公はそもそもこの話を書くために作ったキャラクターではなく、「大学受験の話を書こう」と思ったときに「じゃあこいつが適役かな」と白羽の矢が上がっただけで、偶々そのキャラクターに「双子のきょうだいが事故で死んでいて幽霊になっている」という設定が付随してきただけなのだ。

(この話は掘り下げるととても長くなるので、ここでは割愛する)

 

さらに、当時の私にすると、大学受験の経験の方が身をつまされる経験だったので、そちらの方が切に伝えたいモチーフではあった。

 

が、試しに初稿からその下りを消してみると驚くほどするすると物語が進み、綺麗な落とし所が見えたのでこの結末になった。

結果として気に入っているので結果オーライなのかもしれない。

 

伝えたい物語が幾らあっても、伝わらなければ意味がない。

その大切さを学んだはずの私はこの前書いた小説を「要素詰め込み過ぎ」と叱られた。

 

どうもキャラクターありきだと、作った設定を出すことに躍起になってしまうきらいがある。

 

かと言って、キャラクターの作り込みが甘いと登場人物が単なる作者の主張のスピーカーになってしまう。主人公に個性がない小説は、はっきり言ってつまらない。

 

何事も、捨てることが大事だとは分かっているけれど、捨てられないのも人情だ。

 

小説を書くのって、本当に難しい。