7ちゃんねるーふみねぇ支店

アラサーニートのよしなしごと

呟き159:夢はまだ終わらない

 

あの日から、1年経った。

 

厳密に言えば「1年」というには少し早いのだが、そう言ってしまっても差し支えないだろう。

「計画」が狂ってしまったあの日、私は、仕事も美意識も誇れるものも、何も持っていない自分のことを振り返って、初めて「怖い」と思った。

上野の中心街はよく晴れていて、空が高く、雲が細くたなびいていた。

未来が、全く見えなくなった。

 

心が沈んでいても時間は容赦なく流れていくし、自分で入れたいくつもの予定が、不安な沼に浸るのを許してはくれなかった。その予定のいくつかは予想外な結果を運んでくることもあったけれど、どうも本気で心を傾ける気にもなれず、本当にこれでいいのか自信もないまま、気がついたら「またそこを目指す」ということがいつの間にか現実のこととして目の前に迫っていた。

 

ずっと、怖かった。

この一年で、どんなに知識が増えても、履歴書に書けるような資格ができても、新旧含めたたくさんの知り合いが暖かく応援してくれていても、心のどこかで、この生活をしていることが不安で仕方なかった。

自分なりに勝算がある。そのためにできる限りの立ち回りだってする。誰よりも憧れの場所のすぐそばで、全てを吸収する。

そんな努力を積み重ねても、もしかしたら、自分の未来がまた、脆く崩れてしまうかもしれない。

そんなことを想像して、文字通りその場から動けなくなったり、頭を抱えてしまうことが幾度となくあった。

足掻く日々が一段落した後、次の準備と称した趣味の延長みたいなことをしていた。それは去年は結局時間を割くことができなかった、夢のような時間だった。その反面「もしこの準備も資格も何も意味をなさないことになったら悲しいな」と思ったりした。

 

あの日から、一年。

 

あの日からほんの少しだけ、先に進むことができた。現時点で、いちばん理想の未来になったはずなのに、自分が思っていたより心から喜ぶ気持にならない。ただ放心していた。

しばらくぼんやりと考えて、ああ、まだ私は夢を見ていてもいいんだ、と思った。

それは自然と笑いたくなるような幸福じゃなくて、静かに噛み締めたくなるような喜びだった。

 

私は、今やっと、夢のスタートラインに立つことができたような気がする。

呟き158:【7ちゃんねるーふみねえ支店】を開設します(ブログ移転)

 

なかはらななせと共同投稿していた「7ちゃんねる」からブログを移転しました。

別になかはらと不仲になったわけではなく、ブログホストのなかはらが「はてなブログのプロの契約どうしようかなあ」と言っていたので、それなら個人ブログにしてもいいかな、と(プロをやめると共同編集ができなくなるらしいので)

 

当初、「毎日投稿をして、あわよくばいずれ広告収入でお小遣い稼ぎできないかなあ」という淡い考えがおそらく自分にもなかはらにもあったのだろう。

が、収入化するほどのPVを稼ぐには、ハッシュタグでもつけて宣伝するとか、独自の分野を定期的に発信するとか、せめて書いた記事を人に見てもらうための努力をするべきであり、Twitterが鍵垢の時点で恐らく「本気でバズるための努力」が足りなかったのかもしれない。

まあ、本音を言うと自分のやりたいことややるべきことと天秤にかけて「趣味日記でいいや」というところに、少なくとも私は落ち着いた。なかはらについては想像の域を出ないのでこれ以上は語るまい。

 

ときに、日記なり文章なりというものは、物理的に時を経れば経るほど面白いものだ。

「使わなくなった常識」ほど容易く記憶の中から零れ落ちてしまうので、さながらタイムカプセルのようだ。そんな形で、「7ちゃんねる」に投稿した過去記事はすべて「踏みねえ支店」のほうに移動しました。個人ブログになったところで特に何か変わることもないので、記事のナンバリングもそのまま「呟き」で継続することにします。

 

ちなみに、「7ちゃんねる」というブログ名は、共同運営を決めた際に私が出した案だ。知り合った当初なかはらが名乗っていた「ななし」というHNと、自分がたまに使う「ナナ」というHNの共通の数字が「7」になり、2ちゃんねるや5ちゃんねるといった有名掲示板とも被らない数字になるからという理由だった気がする。

 

もうとっくの昔に毎日投稿はやめてしまったし、Twitterも鍵垢のままだし、内容があまりにも個人の日記なので、これからも時々気が向いたら、記事を書こうと思う。

ブログを書く機会をくれたなかはらへ

ありがとう、一度もバズらせることができなくてごめんね。

 

今は正直、あまりにも個人的な日記になりすぎて、いっそバズったら面倒だなくらいに思っている。まあ、のほほんと記事を増やして行けたらなと思います。

というわけで、これからもどうぞよろしくお願いします。

呟き157:「ラブライブは遊びじゃない!」

 

アニメ『ラブライブサンシャイン』に登場するライバル役・鹿角理亞のセリフです。

傍目から見ていて、セイントスノーって結構人気あるイメージなんですけど、私は、非常に個人的な見解なんですけど、特に理亞に対して共感性羞恥を感じるので、苦手なキャラだったりします。

挨拶が遅れましたね、あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

で、何かに一生懸命取り組むって、大事ですよね。

 

 

nakahara-nanase.hateblo.jp

 

この記事でも似たようなことを書いた記憶があるが、傍目から見たら「そんなこと真剣に考えているの?」ってことを真剣に考えてコツコツやり続けられる人が大成するんだと思う。まあ、基本的には「その分野」でと前置きがつくけれど。

「その分野」がニッチであればあるほど、一歩界隈の外に出てしまえば「誰それ」と冷たい目を向けられるのが関の山です。そこそこ人気のユーチューバーですら、Yahoo!ニュースに取り上げられたときにコメント欄で「だれこいつ」と冷笑されたりするんです。(ヤフコメってテレビに出てる芸能人以外の知名度低いけど)

 

一生懸命に何かに取り組む姿勢は、尊いと思います。

でも界隈には外がある、って意識はどの界隈に居ても決して忘れてはいけないと思うんですよね。

 

そして、その想いと努力の結晶みたいな「本」を片っ端から読むような生活をしています。

 

理想を叶えるために、やらなければいけないことはたくさんある。

知らなければいけないこともたくさんある。

 

今、この生活を、取ろうとしている資格を、無駄だとまでは思わない。もっと知りたいと思うから何十冊もの本を片っ端から読んでいる。

とりあえず、前の業界の勉強よりは、少なくとも真面目に取り組んでいると言えるでしょう、さすがに。

 

けれど、知れば知るほど思うのです。

いつか遠い未来でも、何それ、と冷笑する外部の人を見返すことができるくらい、この図書館という業界に希望はあるのだろうか、と。

 

どんなに理想論を語ったところで職員はせいぜい非正規か非正規の常勤

資格持ちだけど資格に価値がなくて、給料はどこも最低賃金

なのに「職務経験」を求めてきたり、語学力求めてきたり、800字とかそこそこの分量の作文を求めてきたりする。多分資格持ちの人材なんて濡れ手に粟なんだろう。

 

どんなに理想や御託を並べても、結局パートに、常勤に、何が言えるんだろう。

指定管理者制度というものがありまして「県立」とか「区立」とかそういう官立の施設みたいな顔をしていても運営が民間、というのが増えてきた。最近有名になったのだと、ツタヤ図書館みたいなアレ。

ときどき、「図書館は土日も開館しているし、開館時間も長いけれど職員の働き方はどうなっているんですか」というような質問をするバカがいるが、カウンターに座っているのじゃ大体外注のバイトなので関係ないです。

「ほいじゃ司書になるなら民間で委託を請け負っている会社に勤めたほうが近道なのでは」と思うじゃない、月給目安は新卒並み、パートなら最低賃金。話にならん。むしろ、日図協のHPなんかでちまちま非正規の求人探して働いているほうがいっそラクに同じくらい稼げるのでは、って感じだ。

 

一昔前はどうだったのか、というと、別に「地方公共団体の一施設」に過ぎないから、資格があろうがなかろうが、地方公務員として採用されて、数年おきに飛ばされるかも~~みたいな感じだったらしい。恐らく。というか「中小レポート」の時代に既に「現場は非正規で成り立っていて、非正規は低賃金だ」みたいな話をしている。60年近くたって何も変わっていない。

 

何が言いたいのかと言うと

正直、この業界に選択肢なんて初めからあってないようなものなんだと思う。ひとりよがりの専門性なんて犬も食わないのだろう。

それなのに選択肢が広がっているような顔をして、可能性があるような顔をして、できもしない夢物語を繰り広げて、なんかそれって、意味があるんですか。

呟き156:「図書館って最強のサブスクだと思うんだよね」

 

「図書館って最強のサブスクだと思うんだよね」

と、先日仙台で会った友達が言っていた。

すごく今風でいい言葉だな、と思いつつ「無料なのにサブスク(定期購入)とは」とそのときは思っていたのだが、よく考えると税金でなりたっている施設なのだからあながち間違いではない、むしろ言い得て妙とさえ思うようになった。

 

通信で司書資格の勉強をしている。

最初、届いた教科書がちっとも読めなくて、めちゃくちゃ絶望した。レポートが書けないのだ。学生証が届いて、勇んで図書館に行ったはいいものの、借りた参考図書はちっとも読む気になれず、2回も貸出延長した。

アップルウォッチを買って、携帯から離れ、やっと本が読めるようになった。ひと月かかって読めなかった本が、1日の通勤時間と仕事の休憩時間(すごく多い)で1冊読めてしまうと気が付いたときには愕然とした。

 

文章は書けないわけではないので、とにかく片っ端から本を読めばレポートが書けるようになった。むしろ、字数制限が少なすぎて削るのに困るほどだ。

 

勉強をするようになってから、興味を持って図書館に行くようになった。

ハワイ大の図書館とか、NDLとか、日比谷図書館とか。

 

この前、初めて日比谷図書館に行ったのだが「なんだこの夢の国は」と思った。とにかく諸々において「親切」なのだ。なんだろう、素人が小手先で思いつくような「図書館改善案」的なものはもう全部やっている感じ。本当にNDLに文句を言う前に絶対にこういう地域の図書館に行ったほうがいいと思った。

 

図書館に行くとき、書架をざっと見て回ると同時に、「フランス文学」の棚を見に行くことにしている。一応専門分野なので、そこの品ぞろえで何となく「雰囲気」を判断することにしている。

最近気が付いたのは「図書館も万能」というわけではないということだ。

意外と並べる本には図書館の個性がある。特に、専門的な研究書は地域の図書館だとあまりおいていなかったりする。その点において大学図書館は最高で、書架をぶらぶらしているだけで最高に楽しい気持になれる。

ハードカバーの現代小説なんかだと、公立図書館のほうが強いと思う。メディアテークとかリフノスとか、日比谷図書館はその辺がとても充実していて、より取り見取りだなと思った。

 

普段値段を気にせずに本を読んでいるが、本はまあまあ高い。ネカフェも、満喫もお金がかかるのに、図書館は読もうと思えばいくらでも読めるし、借りて帰ることもできる。だから、本当に最強のサブスクだよなと思います。

呟き155:野に咲く花のように

 

友人のS女史が最近小説を書いている。

短期間で数万字レベルの物語をどんどん出していくその姿勢に本当に感服する。

こういうのを間近で見ていると、「自分もいい加減新しい小説を書きたいな」なんて思ったりする。

今書いているものは、長編だったり何かの続きのうちにあるものだったりして、「見せて」と言われたときにパッと出せるようなものではない。そのせいで未だに7年くらい前に書いた小説を見せている。現状、その短編の完成度が一番高いというのも恥ずかしい話だ。

 

なんかこう、一話完結タイプで、「まっすぐな主人公がくじけずに頑張る話」みたいな王道ストーリーを描いてみたいな、とふと思った。

ライン漫画で「学園アリス」という名作をかじり、どんなときもくじけないで「ウチは負けへんで」って立ち上がる佐倉蜜柑ってすごいキャラクターだなあ、と思いまして。

 

私の小説の原点はリアリズムなので、「素直なハッピーエンド」「明るく元気な王道主人公」って割と少ないんですよ。プロット段階でも。身も蓋もないことを言うと、人間は挫けることも多いので、「ウチは負けへんで」を地でいけるのは超人だし、理想論だし、もっと言うとファンタジーですらあると思っている。人生のタイミングにおいてはそういう踏ん張り方が必要なことも多いのだが、「それが地」だとすると、そんな人生果たして楽しいのかな、と。

 

話が少し逸れてしまった。

「明るくてまっすぐな主人公が、どんな困難にあっても健気に頑張る」というストーリーを作ろうとして、気づいたことがある。

それは「理不尽」に遭わないと成り立たない点だ。

 

そもそも、「健気に頑張る主人公」は「無過失」である必要がある。

法律上の意味ではなく、「主人公の過失で誰かに迷惑(精神的なものを含む)をかけている状態ではない」という意味だとしてほしい。

例えば、主人公が本人の頑固さゆえに味方がいない、というキャラ付けだとして、その主人公が孤軍奮闘するような話はいわゆる「健気な話やなあ」とはならないだろう。

また、王道の「元気で明るい」人物を主人公として配すると、主人公が起点となる出来事で一連の「事件」を起こすのは難しい。元気で明るい人は基本的に人に好かれるし、人間関係を積極的に構築できるからだ。というか、主人公にマイナス面を付与しすぎると、「人間味」が強くなり、「健気」と言う印象は薄れる。例えば、さっきの「頑固な主人公」が「孤独だ、つらい」とめげる場面があったとしても「でも、まわりの人が助けてくれようとしたのに、あんたいうこと聞かなかったじゃん」という場面がよぎって一辺倒に感動できない、というのが実情ではないだろうか。

じゃあどうして「元気で明るい主人公」が「事件」の中心人物になってしまうのかというと、そのコミュ力の高さゆえに「関係ない話に首を突っ込むから」だと思っている。例えば、「走れメロス」もメロスが買い物中に聞いた「隣町」の王の噂話で義憤を募らせた、というのが発端で物語が始まる。ほら、本来関係ないじゃん、主人公。

 

主人公に過失がなく、かつ困難に遭うには、もう「環境」をどうにかするしかない。例えば「出生の秘密がある」とか「戦争中」とか、もう個人の努力ではどうにもできない「環境」というか舞台装置が必要なのだ。

だから朝ドラって戦争時代の話が多いんだろうなあ……。

そもそも、人に感じる「健気」という印象がそもそも「理不尽」ありきなのかもしれない。

あと、こういう話はどちらかというと「リアル」というよりは「エンタメ」というか「ファンタジー」寄りの部類なんだな、きっと。

「明るくまっすぐにめげない」主人公はもしかしたら現実にはいないかもしれない。でもそういう人を「理想」にしたり「憧れ」を感じることは、よりよく生きていくためには大事なのではないでしょうか。

 

この文章を書きながら、以上の話を凝縮したような「主人公が健気」というネタのストックがあったことを思い出す。でもこの話もそこそこ膨らませてしまったせいで現状手に負えないんだよな。

サクッといい話書きたい~~~~

呟き154:「自炊系オタク」という切り口で自分の創作遍歴を心ゆくまで書いてみた

 

よく人に「オタク」だと思われている。

「仏文オタク」だとか「文学オタク」だと自称しているが、そういう意味ではなく、世間一般でいうような、アニメとかサブカル系の「オタク」という意味合いで、だ。

確かに、大学生くらいの頃は多少アニメを見たりとか、ラブライブ!など特定の分野が好きになって片っ端から情報を漁り、多少詳しくなっている一面を見た人は私のことを「オタク」だと思うのだろう。

ただ、私はどの分野においても、せいぜいネットで無料でアニメを見たり、YouTubeでひたすら音楽を聞いたり、ネットで関連情報を漁りまくったりする程度で、「お金を落とす」という行為を滅多にしたことがない。

基本的にオタクはコンテンツにお金を落としてなんぼな面がある集団だと思っているので、それ前提で話が進むと全くついていけない。話していても何となく自分とは違うんだな、と思う。多分「オタク」側もそう思っていると思う。

 

なぜコンテンツにお金を落とさないのか、と言われると、理由はいくつかある。

一般的に「オタク」という方向に舵を切り始める中高生の頃、自由になるお金が少ないのと、買ったものに関して親に干渉されるのが面倒でグッズを買うという選択肢がなく、その感覚を自由になった後も何となく引きずっていたというのが一つ、そして「(夢中になる)コンテンツを自分で作ってきた」というのが今回のスレタイだ。

 

ごはん? 家庭料理ならある程度作れます。今日の夕飯はハンバーグでした。

という話ではなく。

 

「コンテンツ」、なんて言ってみたけれど、実際自分の頭の中に広がる膨大な世界たちを何と呼んでいいのかよくわからない。「小説のネタ」なんて呼んだりもするけれど、小説は一向に書ける気がしないから最近この呼び名も怪しいと思いつつある。

「物語」としておこう。

 

物語は、物心ついたときから自然と考えてきたような気がする。絵が描けるようになり、絵で描き表せない背景をあれこれ考えていたのが始まりだった。

 

最古のキャラクターは「ちびうさちゃん」

4、5歳くらいのとき、友達の家で「ちびうさちゃんごっこ」をした。多分幼稚園児の突発的なごっこ遊びだったと思う。友達が「ちびうさちゃん」で、私が「クルリナちゃん」、友達のお姉ちゃんが「きらちゃん」

筋なんてものはなく、「私、ちびうさちゃん! 」「私、クルリナちゃん! 」と言いながら手を広げてぐるぐる回っていた記憶がある。私が手に持っていたおもちゃのドライヤーが友達の頭に当たって、友達が泣いていた。その泣き顔を今でも覚えている。

ちびうさちゃんごっこ」は確かそのとき一度きりの遊びだった。

それを一人で覚えていて、キャラクターを作り、一人で膨らませた。

ちびうさちゃんたちの絵を描いては、物語を作った。

幼稚園児ながらに野望は果てしなく、頭の中でアニメ化する計画まで思いついて一人でニヤニヤしていた。

 

小学生になっても、絵を描いて想像するのが好きなことは変わらず、自由帳ばかり何冊も新しいのをねだった。

その延長で絵本もいくつか描いたりしていたような気もする。

ちびうさちゃんが飛行機で「宇宙」へ行ったり(内容は『こんとあき』のパクリオマージュ)、子供忍者たちが宝の地図を見つけて宝探しに行く話で、よくある感じの紆余曲折を経て宝物を見つけた後、「直通」の「地下鉄」で帰る話(実は地図を見つけた時点で地下鉄一本で行けることがわかっている。最初から地下鉄で行けよ)など、今考えると笑ってしまうような話も多い。

 

絵を描くから、物語が生まれる。

昔から、同世代の子に比べて、決して絵がうまいわけではなかったのだけど、絵と物語は私の中で切っても切り離せないような存在だった。

小3の頃はやたらキャラクターを作っていた気がする。

ちょうどサンエックス(『アフロ犬』とか『たれぱんだ』とか)がめちゃくちゃ流行っていた時期だったので、そういう感覚で量産していた。多分10数カテゴリーで数十キャラくらい作ったのではないだろうか。

それとは別枠で4コマ漫画も描き始めた。

小学生に発想力とコンプラ意識なんてかけらもないので、自分が見た漫画や本、アニメの内容を丸パクリしたものもザラで、我ながら大して面白いものではなかったと思う。

 

小4の頃になると少し進んで、ストーリー漫画らしきものを描くようになった。

コマ割りはめちゃくちゃ、キャラクターもストーリー、当時好きだった漫画(トゥシューズ)の継ぎはぎみたいなみたいなものだったけれど、私は自分の作ったキャラクターを愛していた。

絵を描くのが好きな友達同士で、漫画雑誌を作ったこともある。「キラロ」(固有性があって、語感がよかったので「キララ」と「キロロ(リゾート施設)」を混ぜた)という名前で、一人5ページのストーリー漫画を描いてホッチキスで留めた。

全員コンプラ意識が皆無なので、それぞれ何の悪意もなく好きな漫画を剽窃していた。それでも、楽しかった。

自分のキャラクターのプラバンやラミネート下敷きを作ったり、クリスマスに12月分の季節の絵を描いたカレンダーを作ってプレゼントしたりした。(友達は2人いて、それぞれキャラクター被りなしに全く別のものを作った気がするので、最低でも24種類くらいのカテゴリがあったことになる)

友達の一人がハギレとティッシュで人形を作るのが得意で、誕生日プレゼントに私のキャラの人形を作ってくれたこともあった。

 

漫画を描くには、自分の好きなキャラクターの絵だけでなく、背景や状況説明のためにあまり気の乗らない絵も描かなければならない、ということが徐々にわかってきたので、このころ既に「自分は漫画家にはなれないだろうな」と見切りをつけていた。

なら小説を書いてみよう、と思い少し書いてみたものの、このときはまだ絵を描くほうが楽しかったので、相変わらずキャラクターを作っては漫画を描いたり、描ききれない分は想像を膨らませたりしていた。

 

中学受験のために一時期中断したものの、相変わらずキャラクターを作るのは好きで、受験勉強の合間を縫ってやった自由研究でオーケストラ楽器について調べたときでも(図鑑の内容の焼き直し)オーケストラ図を描くときに総勢30人くらいの絵を描いて、後で全員に名前と設定を作った。

 

中学生になった後も、創作意欲は衰えず、めちゃくちゃキャラクターを量産していた。1クラス分男女36キャラを作ったりとかもした。漫画も描いていて、描き進めては友達に見せたりしていた。

この頃には内容はハチャメチャながらも一応オリジナルストーリーを作ることはできるようになっていた気がする。

通学時間が恐ろしく長かったので、とにかく本を読んでいた。そのため、多少なりと「物語づくり」の引き出しができてきたからかもしれない。

中学の学校祭では、毎年三年生が自作台本の演劇をやっていたのに触発されて、古い携帯のメール画面を使ってひっそり脚本を書いたりもしていた。

 

高校入学後、しばらく日常生活に忙殺されていたのだが、高校一年の冬、毎年出ている生徒会報誌の後半が一種の文芸誌のようになっていることを知り、「そうだ、小説を書いてみよう」と思い始める。

校内実力テストの勉強そっちのけで書いたものの、結局締め切りに間に合わず、テスト結果も悲惨という結果に終わった。が、そこで創作意欲が復活し、中学時代のキャラクターたちをブラッシュアップしたりアップデートしたりしつつ、新しく自分の高校をモデルにした高校生のキャラクター達を作ったりした。もちろん小説を書こうとしたのだが、序盤だけ書いて今も挫折中だ。

大学受験勉強の憂さ晴らしで、ノートに彼らが主人公の漫画を描くようになった。ストーリーものではなく、基本一話完結の緩い6コマ漫画だ。これは浪人時代、予備校のいろいろな友達に見せていた。(だから予備校に何しに行っているんだ)

 

大学受験に関しては、「落ちるべくして落ちた」というくらい現役時も浪人時も勉強していなかったのだが、当時の自分は全く先の見えない未来におびえるばかりで、自分の世界に逃げていた。

浪人時、大学合格が決まるまで毎日日記をつけていたのだが、基本的に当時好きだった人への遣る瀬無い想いと(なんやかんやあって6年後に付き合って、2か月弱で音信不通になる未来がくるなんて露ほども知らない)、高校生の話のスピンオフ(本編もできていないくせに何を言う)「高校時代は名物カップルだった現役大学生と浪人した彼女が、1年かけて破局する話」の設定を捏ね繰り回している記述しかない。

当時、漫画なんかも描いていたくせに、「本腰を入れて小説を書くのはさすがにいけない」という謎の自制があり、設定を練ることにとどめていた。が、このおかげで「台詞ありきのパワープレーストーリー」を脱することができ、伏線の張り方も何となくわかってきた。(書けてないんだけど)

 

進学して晴れて自由の身になり、「さて小説を書くぞ」と意気込んだものの、ちっとも書けなかった。

というのも、予備校の自習室で想像していた「大学生像」があまりにも自分の常識とかけ離れていたからだ。酒を介したコミュニケーションも、同世代だけで歩く真夜中の道も、学生同士で車に乗って遠くへ出かけることも、何もかもが新しかった。衝撃だった。

で、一度諦めた。

もうこれは、一度腰を据えて、大学生活と言うものを吸収しよう、と思った。そんな感じでプラプラと普通の大学生活を謳歌していた。

が、浪人時代に好きだった人に「ずっと楽しみにしてたんだけど、あんた、いつ小説を書くの」と発破をかけられたのをきっかけに『ファンタジア』という17,000字くらいの短編小説を2週間くらいで書く。

それで弾みがついたのもあり、『笑顔(1/2)』を書く。

 

大学二年生

このあたりからかねてより考えていた「文芸サークルにちゃんと入りたいな」という思いを実現すべく、Twitterでサークルのアカウントを探し出してコンタクトをとった。 当時そのアカウントの中の人が、先日ハワイに行くきっかけになったS女史で、親切にも部室に連れて行ってくれた。

本棚の夥しい文庫本を見て、入部を即決。

締め切りがあるというのはいいもので、定期的にそれなりの完成度の小説を書けたのはこの時期だけだ。『笑顔2/2』『いとへんのきょうだい』など、この時期に書いた物語は、今でも読むと、一種の「熱さ」を感じる。

 

大学三年~名古屋時代

編入試験の受験勉強からの日常生活に忙殺されて、書けない。

名大でも文芸サークルに入ろうと思ったが、結局幽霊部員になった末にやめた。

新しい小説の構想ができたものの、結局書ききれず。

 

社会人時代

卒論の時期にパソコンが壊れたため、しばらくパソコンなしだった。一時期、ネカフェに通って何とか一本完成させるも許せない出来。その年の冬にパソコンを手に入れたものの、文章が下手になってしまい、書けない。

仕事をやめ、受験勉強をしていた時期に現実逃避から久しぶりにそこそこ本を読み、これもまた現実逃避から小説を書いてみるとなんとまあ、すらすら書けること、書けること。結論:インプットは大事。

 

なんだか書いていたら楽しくなってきちゃった。

今まで作ったキャラは3~500人くらい?

構想どまりの物語のネタ(派生形も含む)はさすがに100前後くらいはあるのだろうか。

先も言ったように一クラス丸ごとの人間を作ってみたり、「主人公が高1~高3までの人間関係をそれなりにリアルに」(毎年クラス替えあり、高3時に主要キャラ全員同じクラス設定なし、主人公の3年分のクラス全員、部活等周辺の人間関係、主要キャラの家族等のキャラ設定込み)つくったりしたのはさすがに多いけれど、少なくとも一つの物語には最低でも5,6人のキャラクターがいるから、今は忘れて散逸したのも含めるとあながち盛った数字でもないと思う。

 

これだけあれば、妄想も、考察も、全部自分の考えた話でできる余地があると思いませんか。

どうやって遊ぶのかと言うと、常にいろいろな話のストーリーラインを思い浮かべては考えるんです。小説としては書けなくても、プロットレベルなら一通り構成の見通しがついているものが多い(体感7,8割)のですが、定期的に頭の奥から引っ張り出してきてはしこしこと構成を練ります。この人物はどういう背景があって、何を考えて、どう行動したら面白いだろう、って。私は結構悪ふざけで安直に設定を決めてしまうきらいがあるので、適当に考えた設定の点と点を結ぶような「答え」が閃く時間が至高です。脳汁ドバドバ出ちゃう。昔ハマったコンテンツに定期的にプチブームが来て、いくつかある趣味をループする、みたいな感じで物語をついばんでは、少しずつ練り直したりしています。

だから、「妄想するの好きでしょ」みたいに揶揄されるの、嫌い。登場人物は基本的に自分と他人だと思っているし、私は「自分で作った物語の箱庭世界」を決して一人称視点で楽しんでいるわけではないからです。そのためにもキャラデザと設定は練ります。キャラデザインが固まったら、とにかくいろいろなシチュエーションで絵を描いてみて、キャラの顔(イメージ)を定着させます。そうなると頭の中で自分の絵柄で勝手に動くようになります。なので、基本的に物語は全部、アニメーション的な感じで動いています。だから小説を書くときに結構困ったりします。文章は映像のように「同時に動く」ということができず、見たままを文章にしようとするとテンポが悪くなったりするからです。

 

また、一度書きかけて挫折した小説も、時間を置いて見て見ると案外簡単に「答え」や「解決方法」が見つかるのも面白いところです。なので、どんな物語の種も、一時期距離を置いたからといって決して捨て去っているわけではありません。物語を面白くできるタイミングは今じゃない、というネタは私の中に結構あります。

 

例えば、「星空同盟」という今も挫折中の小説ですが、中2の頃に生まれたハチャメチャコメディだった原型(漫画だった)を中3、高1くらいで擦って「小説になりうるプロット」を作っていきました。が「今なら書いてもいいかな」とちゃんと思えたのは社会人になってからです。

私は自分の経験したこと(感覚)しか書けないので、働くまではどうしても「教員(社会人)目線で見た主人公たち(中学生)はどう映るのか」想像がつかなかったので、「社会人一年目の今なら、キーパーソンである臨採の先生の台詞も書けるな」と思い、昔の原稿を引っ張り出してきました。まあ、先生が出てきたくらいのところ(ド序盤)で止まってるんですけど。

 

幼稚園の頃に考えた「ちびうさちゃん」も時々練り直したりします。

ちびうさがうさぎなのか、人形なのか、はてまた宇宙人なのか結論はついていないし、どういう話なのかまでは全く考えていないのですが、とりあえず「幼稚園児が語感の響きが気に入って付けた謎の名前」である「クルリナちゃん」は本名が「枢木(くるるぎ)りな」なんだということになりました。

 

この小説をもう永久に書かないか、というと、多分絶対そんなことはないと思います。またいつか思い出して練り直したり、書いたりはするでしょう。だって筋は面白いもの。それだけは絶対的な自信があります。少なくとも、私が面白いと思っていればいいんです。

 

私は別に、小説家になりたいと思ったことはあまりなかったりします。

ペンで食っていくんだ、という意思がとても希薄です。ある意味、生計を立てる術としては興味がないのかもしれません。文章が書けるのは、特技程度で十分。

 

物語を考えていると、昔から大人によく「そろそろ現実を見なさい」と言われてきたので、「じゃあ商業ベースに乗せれば文句を言わないんだろうか」と小説家を目指す、というか、浪人時代に「社会性が皆無らしいから小説家になるしかない」と、書きもしないのに思い悩んでいただけです。

教育のたまもので、一応志向としては普通の人間になってしまった。本来普通の感性の人間じゃないのに。なので、一番大切なのは、安定して食べていくことだと思っています。ワープアになってまで小説家になりたいと思えない。現状私はワーキングプアですが、「小説家になるため」にと言う理由で前職はやめられなかったと思います。

 

私は生来怠惰なので、自分の時間がたっぷりあったとしても、その時間を小説を書くことに費やさない、ということをわかっています。

もしかしたら、頭の中にある膨大なプロットや、キャラクター設定は誰の日の目を浴びることもないまま、私と一緒に死んでいくのかもしれません。

いつか誰かが少し面白がってくれるように、いつか誰かが自分の弱いところや嫌なところを、「こんな風に考える人が自分のほかにもいるんだ」と思えるような、そんな物語を、皆さんの前に並べてみたいと思います。

自分がかつて、心を動かされてきた数々の物語のように、いつか私の物語が、だれかのすぐそばにそっと立っているような存在になれたらいいなと思っています。

呟き153:ハワイに行った話

 

「そうだ、誕生日を海外で迎えよう」

 

大学時代からの友人・S女史が現在ハワイに留学している。

せっかくなら友達がいるうちにハワイに行ってみよう、せっかくなら誕生日に合わせて行ってみよう、そんなコンセプトでハワイに行くことにした。

備忘録的な形でサクサクとまとめてみようと思う。

 

①クレカ特典を使いこなせないマン

旅行直前にプラチナカードとプライオリティパスを手に入れた。

が、成田発JAL便だったためにANAラウンジを使えなかった。

また、プラチナカードの特典でスーツケース空港宅配サービスが無料だったものの、集荷ガチャに失敗。翌日、電車で行ける営業所に特攻したところエリア外で受け付けてもらえず、仕方なく職場の最寄り駅のロッカーに入れる。右手が筋肉痛になり、無意味に900円失う。ヤマトの事務員の女に「これ提案なんですけど、自分で空港までもっていったら? 」と言われたのは一生忘れない。それ提案って言わないから。

 

②初手でスーツケースをぶっ壊す

海外に行く際に日系航空会社を利用したことがなかったので、サービスが良くてびっくりした。機内食おいしいし、めちゃくちゃ飲み物をくれる。

6時間のフライトを終えて、ハワイに到着。降り立った感想「暑い」

空港職員がアジア人(というか日系人)顔が多くて、何だか海外に来た気がしない。これはS女史の恋人・I氏と一緒に行動していたのと、日系航空便なので周囲が日本人だらけだったのもあるのだが、それを差し引いても日系人は多い。

無事入国して、さて荷物を引き取ろうとスーツケースの取っ手に手をかけると、取っ手が取れてしまった。このスーツケースは私が小6で中国に行ったときから使っているかなり年季の入った代物だったので、さすがに寿命と見える。お疲れ様。

 

③この木なんの木

ホノルル空港の近くに、日立製作所のCMでおなじみの木がある公園があるらしい。

公園、といっても私有公園で入場料がかかるのもあって行かなかったが、似たような木がそこら中に生えているのは驚いた。モンキーポッドというらしい

海外旅行の個人的な醍醐味に「植生の違いを見る」というのがあるが、街路樹として背の高いヤシの木が生えていたり、ちょっとした植込みの木が馴染みのない種類だったのが面白かった

 

④ワイキキビーチ、綺麗

海遊びの経験が小学生以来だったので、純粋に楽しかった。背後に広がるのは絵葉書で見たようなエメラルドグリーンのワイキキビーチとダイヤモンドヘッド。う~~ん! 絶景!

砂浜を裸足で歩けるんだとか、スマイレージの『夢見る15歳』に出てくる「波が来る その度にジャンプして」という歌詞はこういう意味だったんだとか、波がある中でゴーグルなしで泳ぐのって意外と大変なんだなとか、海水が普通に塩辛いとか、いろいろなことを思いました。

パラセーリングで少しだけ沖の方から見た海はラピスラズリのような深い青。海洋系が専門のS女史が海の色が違うことについて興奮気味に語っていた。船が小舟だったので、波間に揺れるのもなかなか乙だな、と最初は楽しかったけれど、終盤見事に酔う。

これは余談なのですが、水着の中がこんなに砂だらけになるなんて知りませんでした。

 

⑤物価が高い

恐らく、ドル円が天井のときに行った、というのを差し引いたとしても、アメリカの物価がとにかく高くて驚いた。基本的に、日本円に換算してはいけない。

スーパーに行くと自然とドケチな主婦になるので、日本の感覚だと「決して手を出さない値段」のものしか売ってなくて泣きそうになった。

個人的に毎食デリに7ドルとか払うのに抵抗があり、部屋に簡易キッチンがついていたので、3日間適宜食事を作っていたのだが、おいしいと付き合って食べてくれた友人2人には感謝しかない。

現地でキットカットを買って食べたけれど、「砂糖の暴力」みたいな味がした。これは日本での話だが、この前初めて行ったコストコの試食(ホットドックも)が総じて口に合わなかったので、もしかしたら自分はアメリカの味が苦手なのかもしれない。

 

⑥あらゆるところに日本語

とにかく日本語が町中に溢れている。店員には顔を見たら「コンニチハ」と言われるし、小売店のポップが日本語、というものザラだ。

一見「英語が話せなくても暮らせてしまうのでは」とも思うのだが、今回は博物館や動物園など、現地の公共施設的な観光地を中心に回っていたこともあり、英語はできたほうがいいと思った。(日本語のパンフレットや音声案内はあるけれど、看板は英語のみだから)

 

⑦名物は現地で食べたほうがいい

実は、ロコモコやマラサダをあまりおいしいと思ったことがなく、パンケーキもそこまで好きではないので現地グルメにあまり期待をしていなかった。

が、アリゾナ記念館(パールハーバー)の帰りに、何となく寄った店で食べたロコモコが信じられないほどおいしかったのだ。

ガツン、と真正面からぶつかってくるような暴力的な肉のうまみは、日本では到底出会えないような味で、「なるほど、確かにこれは名物だわ」とかなり衝撃を受けた。

ちなみに、値段と量も日本人の感覚からすると「暴力的」で、「もしアメリカに住んだら安直に外食なんてできないな」と思った。

 

⑧時差がありすぎる

日本とハワイの時差は19時間ある。

日本から友達が「おめでとう! 」と言ってくれるたびに、まだ前日な気がして複雑な気分になる。「結局自分の誕生日っていつだったんだ? 」と思いながらぬるっと28歳になった。お祝いしてくれた方々にこの場でお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

⑧クレカの特典を使いこなせないマンその2

ハワイから帰る際、スケジュールの都合で4時間前に空港についていたものの、早すぎたせいでカウンターが開いておらず、少し離れたところで静観していた。

みるまに伸びていく長蛇の列。やがてカウンターが開き、列が空港内に一通り吸い込まれたところで行ってみると、行列が捌かれたのではなく単に移動していただけだということに気づく。チェックインを終え、さあ出国して今度こそラウンジに行くか、と思いきや、出国待ちの行列がえげつないことになっていた。とにかく終わりが見えない。空港内を蛇行して外に出たかと思うと、そのまま空港の端まで行ってもまだまだ足りず、そこから折り返している、という有様だった。列自体はサクサク進むものの、如何せん人が多い。結局、出国手続きを終えたのは搭乗時刻の10分前。免税店を駆け足で見る程度しかできず。完全自業自得。

 

⑧3泊5日は短い!!!

直前までイメージが湧かず、何も考えていなかったのだが、楽しすぎて3泊5日があっという間に終わってしまった。

ハワイ大学、ワイキキビーチ、アリゾナ記念館、ビショップ博物館、ホノルル動物園、もっと時間をかけてじっくり見たかった場所(特にビショップ博物館)がたくさんあるし、そもそも行けなかった場所(ドールのパイナップル園とか、アラモアナセンターとか)も多い。

将来、また行く機会があるんだろうか。それはちょっとわからない。他にももっと行ってみたいところあるし。もしかしたら、何かの用事でまた行くことになるかもしれない。それは神の味噌汁だと思っている。

 

今まで海外は研修旅行だの留学だのでしか行ったことがなく、純粋に「旅行」というのは初めてでした。友達と旅行に行くのって楽しいね! というわけで簡単な備忘録でした。